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メンタリング
 
 
横浜市西区の株式会社
ビクトリー 古賀光昭  
 

文明論・実践編 Imagine for Civilization

 

エピグラフ(詩)

ただ生きているだけで、人はひとつの光を持っている。 

それは、私にはずっと前から、そうとしか思えなかった。 

その光は、宇宙の源から授かった、かけがえのない輝き。 

証明されなくても、その光は消えない。 

魂の奥で静かに瞬きながら、見えない道を照らしている。 

 

文明は、制度や力の構造からではなく、 

魂が目覚め、宇宙の調和にふれるところから始まる。 

 

内なる声に耳を澄ませ、 

神的な知性に導かれて歩む人は、もう迷わない。 

 

尊厳は、勝ち負けを越えて、 

心の奥の聖域で、揺るがずに在り続けている。 

 

あなたの在り方が、そのまま光となり、 

この世界に静かな愛をもたらしている。

 

 

前書き

「人間中心哲学」を軸にして、「現代のルネサンス」、「新しい経済哲学」、「人間中心の政治論」、「家庭論」、「教育論」、「芸術論」、「尊厳の経営」、「文明論」を20日もかからずに書き上げた。

しかし、その後も、私はブログを更新し、noteも書き続けた。ひと月で、60記事くらいを書いたかもしれない。

十分な仕事をしたと思ったし、思想体系も完成した。灯火(ともしび)はともしたので、あとはそれを受け取ってくれる人が一人でもいれば、それでいいと思っていた。

 

ある日、家族と音楽の話をしたときに、私の口から、ふっと次の言葉が出た。「ビートルズって、いいなぁ」。「いや、曲はもちろん素晴らしいけど、彼らの生き方がいいよね。自分らしく生きて、素直に自分の感情を表に出して、その“ふるまい”や曲で世界を変えてみせた。ああいう生き方ができるといいよなぁ」。

そんなことをつぶやきながら、私は気づいたのである。「これからは自分もビートルズでいこう、ジョン・レノンでいこう」と。

別に音楽活動をするという意味ではない。自分の生き方も、書く文章も、もっと素の自分で表現していけばいいのではないか。そして思った。「思想を語るだけでは足りない。今生きている人が、世界とどう関わるかを示さなければ。今日、明日をどう生きるかを描く必要がある」と。

 

そこから、ジョン・レノンのように感性を信じて書いてみようとしたのが、この「文明論・実践編― Imagine for Civilization」の始まりである。

※この副題は、ジョン・レノンの「Imagine」にちなんでいる。制度や仕組みではなく、心から始まる文明を想像してみようという願いを込めた。

未来の制度や仕組みを語る「文明論」本編に対して、この「文明論・実践編― Imagine for Civilization」はもっと手触りがある。

本編を読まれた方は、実践編の手触り感が意外に思うかもしれない。けれど、これが私の素なのである。私は素のままでこの実践編を書いた。

人間の感性は、ありのまま差し出されただけで誰かの明日を変える。

ザ・ビートルズの音楽は、感性で誰かの明日を変えた。

表現のかたちは違っても、歌も文章も、誰かの心に届くものだと思う。

この「文明論・実践編― Imagine for Civilization」は、文明の大きな枠を整えるための“設計書”ではない。

私は感性でこれを書いている。

もっと素朴で、もっと人間らしい。

まるで“歌”のように。

そして、その“歌”は、あなたの内側に触れるもの。

ここから先は、理屈ではなく、心で読んでほしい。

文明を支える最初の土台は、いつだって人間の心なのだから。

 

 

「文明論・実践編 Imagine for Civilization」の方向性の宣言文

私は、この実践編でひとつの宣言をしたい。

文明は、外側の制度や仕組みから変わるのではなく、人間の中にある「やさしさ」や「問い」から静かに変わっていく。

だから実践編は、人間の感性をそのまま扱う。

ここに書くのは技術論ではない。

根性論でもない。体育会系は苦手だ(笑)。

そして、マニュアルでもない。

これは、あなたがあなたとして生きるための「感性の原則」だ。

● 尊厳は、人が生まれながらに持っている光 ― 誰にも奪えない内なる輝き

● 問いは、心が未来へ向かう力 ― 生きる方向を示す羅針盤

● 感情は、人間であることの証 ― 理屈を超えて人を動かすもの

● 関係性は、制度よりも深く人を支える土壌 ― 人が人を生かす場

これらを“文明の最低基準”として据える。

制度の外で育つものを、制度の内に戻す方法を示す。

制度を簡単に言うと、法律、規則、組織構造、慣習など、社会を運営するための枠組みのことだ。

そして、読者が明日そのまま使える「最低限の実践」を並べる。

私は哲学者ではなく、思想家でもない。文章を書くことを生業にしているわけでもない。

会社員から独立して、現在はメンタリングを仕事にしている。

ただ、自分を見失っている人には自分軸を取り戻してほしいし、誰もが自分らしく生きられる世の中になってほしいと願う人間だ。

その願いのままに、「文明論・実践編― Imagine for Civilization」を編む。

この実践編は、文明論の続きではない。

文明論の“静かな中心”だ。

ここに書くすべてが、未来の誰かの痛みを少しでも軽くし、どこかで「生きていていいんだ」と思える人が一人でも増えるなら、それで十分だと、私は思っている。

 

 

第1章 尊厳原則──人は生まれたときから光を持っている

 

人は、生まれた瞬間から光を持っている。それは才能でも、成果でも、役割でもない。

ただ「存在している」という事実そのものに宿る光だ。

尊厳の原点はここである。

社会がどれほど変わっても、AIがどれほど賢くなっても、この光の価値だけは揺れない。

けれど現代の生活は、その光を忘れさせてしまう。会社では成果で人を測り、家庭では役割を押しつけ、学校では点数で未来が決まるようなことをしている。

誰も悪気はない。ただ、そういう空気が積み重なってしまっただけだ。

尊厳原則の出発点は、とても静かで、とても素朴だ。

 「あなたは、そのままで価値がある」

この一行だけで十分なくらいだ。

 

光が見えなくなると、人は急に自分に厳しくなる。他人にも厳しくなる。焦りをもったり、いつも誰かと比べていたりして、自分を守るために誰かを傷つけてしまう。

人間の苦しみの多くは、こうした状態から生まれている。

もしも文明に最低限の基準があるとしたら、私はこの一つを置きたい。

尊厳とは、存在の肯定そのものである

それをどう守るかが、次の原則につながっていく。

 

原則① 役割よりも存在を優先する 

人は「親だから」「管理職だから」「男だから」「女だから」そういう“役割の仮面”を背負わされがちだ。

役割は便利だが、仮面にしてしまうと苦しみになる。

私が提唱している「人間中心哲学」(別論考)では、役割を否定しない。

ただ、役割より先に「人」を見る。存在があって、役割はその次に来る。

これだけで、家庭も職場も急に呼吸がしやすくなる。

 

原則② 光を押しつけない

尊厳は一人ひとり違う。

優しさに光がある人もいれば、静けさに光がある人もいる。

一歩踏み出す勇気が光になる人もいれば、踏み出さない慎重さが光になる人もいる。 

文明が病むのは、「これが正しい光だ」と誰かが一律に線を引き、決めてしまうときだ。

光は比較できないし、順位もない。 

光の価値は、その人自身が持つかけがえのない色そのものであり、他人と比べるものではない。

 

原則③ 存在を否定しない空気をつくる

人間は言葉で動く生き物ではあるが、本当のところは“空気”に動かされている。

家庭でも、職場でも、地域でも、「ここにいていい」という空気があれば、人は自然と力を出す。 

逆に言葉で褒めても、空気が冷たいと心は閉じる。

尊厳とは、言葉よりも空気によって守られるものだ。それは制度では生まれない。

一人ひとりのふるまいから立ち上がる。

 

原則④ 比較を生き方の基準にしない

 AI時代の危うさで私が一番気にしているのは、AIに比較される人生が始まることだ。

 「AIより遅い」「AIより劣っている」

 そんな評価が当たり前になる世界は、人間を壊していく。

尊厳原則の核心はここにある。比較は未来を閉じるが、尊厳は未来を開く。

自分の光を守るとき、比較から自由になる。

 

原則⑤ 光は誰かを照らすためにある

光は自分だけのものではない。

あなたがあなたとして生きる姿勢は、誰かの明日を照らす。

誠実に働くこと、誰かを思いやること、静かに優しく言葉をかけること、笑顔で接すること。

それらはすべて、光のふるまいだ。文明は、そうした小さな光の積み重ねで育つ。

尊厳原則とは壮大な理論ではなく、「人は生きているだけで光を持つ」という当たり前の真理を思い出すためのものだ。

 

ここから、家庭、教育、経済、組織へと光の原則をどう戻していくかを描いていく。

 

 

第2章 問いの倫理──自分の答えは、自分の言葉で

 

人は生きているかぎり、必ず問いに出会う。

―それは、避けようとしても、ふと心に現れる。

例えば、「私はこのままでいいのだろうか?」

「本当に大切にしたいものは何だろう?」

「この選択は、自分の心に正直だろうか?」などがある。

 

問いは自分で立てることもあれば、他人から投げかけられることもある。しかし、問いに対する答えは、他人の言葉ではなく、自分の内側から出てこなければならない。

現代社会では、答えはしばしば外から与えられる。「こうするべきだ」「これが正しい」――しかし、他人の答えでは心は腑に落ちない。自分の内側から湧き上がる答えだけが、光となり、人生を前に進める力となる。

 

原則① 答えは自分の言葉で

問いを立てるのは誰でもいい。教師でも、友人でも、社会の仕組みでも構わない。しかし、自分の答えは自分の言葉でなければならない。内側からの素直な言葉が、自分を腑に落とし、行動を自然に導く。

ポイントはあまり理屈で考えないこと。こうしなければならないといった規制を自分にかけないこと。ぼんやりとしたときに、ふっと浮かんだ言葉がおそらく答えに近い。

 

原則② 問いに正解はない

答えに正解はない。光と同じく、答えは一人ひとり違う。そして人生の節々でその答えも変わる。それでいい。

重要なのは、他人の基準に合わせることではなく、自分の内側から素直に出すこと。自分の言葉で答えを立てるとき、人生は自分の手に戻ってくる。

  

原則③ 問いを言葉にする

答えを自分の言葉で表現することが、問いを生きる第一歩だ。声に出しても、紙に書いても、心に静かに落としてもいい。メモしたことを折々に眺めるのでも構わない。言葉にすることで答えは確かになり、光となって行動を支える。

 

原則④ 答えを日常に返す

自分の言葉で出した答えは、日常の行動に還すことで力を持つ。家庭や職場、学びの場、創作の場で答えを生かす。問いと答えが、人生を前に進める光となる。

  

原則⑤ 答えを急がない

答えがすぐ出なくても構わない。

沈黙の時間を大切にし、心でゆっくり考え、ふっと答えが浮かぶ瞬間を待つ。

紙に書いたり声に出したりするのは、答えを定着させるためだけでなく、内側の光が自然に現れるのを助ける手段である。

 

問いの実践例

 •【問いを書き出す】

  今日、自分に投げかけられた問いをひとつ書き出し、自分の言葉で答えてみる。

 

•【沈黙を受け入れる】 

 答えがすぐ出なくても構わない。沈黙の時間を大切にし、心の中でふっと答えが浮かぶ瞬間を待つ。

 

  •【言葉にして返す】 

 答えを紙や声にしてみることで、内側の光を日常に還す。

 

問いの倫理とは、答えを探す哲学ではない。

問いに出会ったとき、自分の言葉で答え、内側から湧き上がる光で生きる姿勢を肯定するためのものだ。

問いも答えも、他人から受け取ることはできる。

けれど、光になるのは――自分の内側から生まれた言葉だけだ。

そして時に、問いは誰かの言葉によって、初めて形を持つ。

まだ言語化されていない問いに、そっと触れるように差し出された言葉が、その人の内側に眠っていた光を、静かに呼び覚ますことがある。

問いを投げかけるとは、答えを与えることではない。その人が、自分の言葉で生きるための、静かな伴走である。

 

  

第3章 可能性の倫理──自分の中の光を信じる

 

人は自分の力や未来をしばしば過小評価しがちだ。

「自分にはできない」「あの人みたいにはなれない」と思う瞬間は誰にでもある。

しかし、可能性は他人が決めるものではない。自分の中の光を見つけ、信じることから始まる。

可能性は理屈や成果の前にある。経験が浅くても、失敗が続いても、自分の内側の力を信じる心があれば、道は少しずつ開ける。

 

原則① 未来は今の光から生まれる

未来の可能性は、今の自分の力を信じることから生まれる。これまで生きてきたことで学んだこと、経験したこともすべてあなたの力になる。

どんな小さな一歩でも、内側から湧き上がる行動は確実に力になる。

信じることで、自分にとっての「できること」が見え、未知の領域にも踏み出せる。

 

原則② 失敗は可能性の証

挑戦の過程で失敗しても、それは「その方法ではうまくいかなかった」というだけのことだ。プロ野球で首位打者になる選手は、7割は失敗している。失敗から学べば、あなたの力は必ず強くなる。

失敗は未来を閉じるものではなく、可能性を広げる材料になる。恐れずに試すことが大切だ。

 

原則③ 他人の基準で自分を測らない

可能性を制限する最大の障壁は、他人の評価や比較である。SNSや周囲の言葉が、自分らしさを閉じ込めることもある。

「普通はこう」「みんなできる」――そんな言葉に縛られず、自分の内側が少しでも手応えを感じた瞬間を信じることが、可能性を開く第一歩だ。

 

原則④ 光を行動に変える

自分の中の力を信じたら、それを行動に移す。小さな挑戦でも、日常の中で自分にしかできないことを見つけ、実践する。

10分早起きする、人に挨拶をする、誰かに「ありがとう」と言う――簡単なことから始めてみよう。行動によって可能性は現実の形を取りはじめる。

 

 

可能性の実践例 

  • 今日、自分が「やってみたい」と思うことをひとつ書き出し、1分でもいいから行動に移す。
  • 過去に失敗したことの中で、「この経験から何を学べるか?」を自分の言葉で書き出す。
  • 他人と比べず、自分の内側が少しでも力を感じた瞬間に「できた」と認める習慣をつくる。

 

可能性の倫理とは、未来を他人に委ねるのではなく、自分の内側から湧き上がる力を信じ、日々の行動に変えていく姿勢を肯定するものである。

光を信じ、行動に変えることが、自分の未来の可能性を切り開く鍵になる。

 

 

第4章 誠実さの倫理──光を素直に示す

誠実さとは、ただまじめに生きることではない。

それは、光を持つ人が、自分の内側からの素直な気持ちと、他者への思いやりを両手に抱えて行動することだ。

間違ったときには「ごめんなさい」とすぐに言う勇気。

分からないことは「教えていただけませんか」と素直に尋ねる態度。

そして、他人を思いやる優しい心。

これらはすべて、あなたの光を日常に現す行為であり、他者の光を尊重する行為でもある。

 

誠実さは、成果や立場の大小に関係なく、日常の小さな選択の中に宿る。

AIが進化しても、人間が心を通わせる場面で最も価値を持つものは、この誠実さである。

 

原則① 間違いを素直に認める

失敗や間違いは、人間らしさの証だ。

「申し訳ございませんでした」「ごめんなさい」と素直に伝えることは、光を消さずに次に繋ぐ行為である。

謝ることで、人との関係は壊れず、むしろ信頼を深める。

 

原則② 分からないことは尋ねる

知らないことは恥ではない。

素直に「教えてください」と聞くことで、学びが生まれ、光が磨かれる。

質問は他者との信頼を築く扉でもある。

 

原則③ 思いやりを行動で示す

誠実さは思いやりと表裏一体だ。

小さな心遣い、笑顔、感謝の言葉、気配り。

それらは、他者に安心感と光を届ける。

思いやりは、制度やルールよりも人を支える土台になる。

 

原則④ 光を素直に示す

自分の感情や価値観に正直であること。

喜びや感謝、悩みや迷いも含めて、自分の光を隠さず示すことで、周囲に安心感と希望を与える。

誠実さは、見えない光のネットワークを広げる行為でもある。

 

 

誠実さの実践例 

  • 誰かに迷惑をかけたら、すぐに「ごめんなさい」と言う
  • 分からないことは黙って考え込まず、「教えてください」と聞く
  • 日常の中で、相手の小さな努力や気持ちに気づき、素直に感謝を伝える
  • 自分の思いを隠さず、自然に言葉や行動に反映させる

 

誠実さの倫理とは、光を素直に示すことを肯定する姿勢である。
光を持つ自分を信じ、他者の光を尊重し、日常の小さな行動に落とし込むことで、未来の関係性や文明は静かに育まれていく。

 

第4章末文

誠実さの倫理とは、光を素直に示し、他者と自分を等しく尊重する姿勢である。

光を隠さず、素直に行動し、思いやりをもって接することで、信頼と安心の循環が生まれる。
問いに対して自分の言葉で答え、可能性を信じて行動し、誠実さで光を示す。
この三つの倫理が重なるとき、人は自分らしく生き、周囲にも光を届けることができる。
文明の最初の土台は、知識や制度ではなく、人間一人ひとりの心の光なのだ。

  

章全体の実践例(問い・可能性・誠実さ)

1.問い 

    • 今日、自分に投げかけられた問いをひとつ書き出し、自分の言葉で答えてみる。
    • 答えがすぐ出なくても構わない。沈黙の時間を大切にし、心の中でふっと答えが浮かぶ瞬間を待つ。

 

2.可能性 

    • 「やってみたい」と思うことを1つ選び、1分でもいいから行動に移す。
    • 過去の失敗から学んだことを1つ書き出し、光として認める。
    • 他人と比べず、内側の光が少しでも動いた瞬間に「できた」と認める。

 

3.誠実さ 

    • 誰かに迷惑をかけたら、すぐに「ごめんなさい」と伝える。
    • 分からないことは素直に「教えてください」と尋ねる。
    • 日常の中で相手の努力や気持ちに気づき、感謝や思いやりを言葉や行動で表す。
    • 自分の内側の光や感情を隠さず示す。

 

まとめの実践指針 

  • 問いに答え、可能性を信じ、誠実さで光を示す。
  • 日常の小さな一歩一歩が、未来の自分と周囲の人の光を育む。
  • 光を大切にすることは、文明を支える最初の土台を作る行為である。

 

 

第5章 制度の外で育つもの──光と誠実さの土壌

 

人が尊厳を持ち、問いに向かい、可能性を信じて生きるとき、光や誠実さは制度やルールの外側で育つ。
社会の枠組みに組み込まれる前の、人間の倫理や心の土壌――それがこの章のテーマである。
ここで育まれた関係性、沈黙、誠実さ、光は、後の制度や組織の中で本物として息づく。

 

原則① 関係性を最優先する

制度やルール以前に、人は人との関わりの中で生きる。
家族、友人、仲間、地域。日々の小さなやり取りが、光や尊厳を育む土壌になる。
人を尊重し、互いに支え合う関係性があれば、制度が完璧でなくても文明は成り立つ。

 

実践例 

  • 「ありがとう」「大丈夫?」といった小さな言葉で関係性を確認する
  • 誰かの話を最後まで聴く、否定せず受け止める

 

原則② 沈黙を恐れない

答えはすぐに出る必要はない。考えを定着させたり、光を育んだりするには、沈黙や静かな時間が不可欠だ。

沈黙は空白ではなく、内側の声を育てる場である。焦らず待つことで、答えや行動の光が自然に現れる。

 

実践例 

  • 日々の短い静寂の時間を意識的に作る
  • 考えがまとまらなくてもメモや声に出す前に、まず心の中で静かに熟成させる

 

原則③ 誠実さを行動で示す 

誠実さは制度や評価では測れない。間違ったときに素直に謝る、分からないことは教えを請う、思いやりを持って接する――こうした態度が、人を支える土壌になる。
誠実さは光を育てる栄養であり、関係性を強くする力である。

 

実践例 

  • 失敗したら素直に「ごめんなさい」と言う
  • 分からないことは「教えてください」と尋ねる
  • 小さな思いやりを行動に移す

 

原則④ 光を認め、分かち合う 

光は個人の中だけでなく、制度の外の関係性の中で輝く。誰かの光を認め、尊重することで、自分の光も育つ。光は比較や評価ではなく、互いの存在を照らす力である。

 

実践例 

  • 誰かの小さな成果や行動を声に出して褒める
  • 光を見つけたときに「すごいね」と共有する

 

章末まとめの実践例 

  • 家族や仲間との会話で、まず相手の光や存在を認める
  • 静かな時間を一日10分でも持ち、心の声を聞く
  • 間違いや分からないことに素直に向き合う
  • 他人の光を積極的に認め、称賛する

 

制度の外で育った関係性、沈黙、誠実さ、光は、制度の中でも生きる。

この章で描くのは、制度を支える前の、人間の心の“最小単位の倫理”である。
ここに書かれた原則を日常で育むことで、後の家庭、教育、経済、組織での実践が自然に強化される。

 

 

第二部 翻訳編(制度の外→制度の内へ)

 

光や誠実さ、関係性、沈黙――これらは制度の外で育つものだ。個人の中で静かに育ち、誰かに強制されることもなく、ただそのままの形で存在している。

しかし、文明や社会の中でこれらの価値を生かすためには、制度に結びつける必要がある。家庭、教育、経済、行政、企業――どの場でも、人の心の光が失われずに活かされる仕組みが求められるのだ。

この第二部では、制度の外で育った倫理を、現実の制度にどう翻訳するかを考える。個人の内面の光や倫理を、制度の中でも実際に機能させるための方法を示す。「文明論」を読んだ人の心の声、「じゃ、私たちは何をしたらいいのか」に答える試みである。

ここから先は、理念だけではなく、具体的な仕組みや行動に落とし込む橋渡しの作業になる。光はそのままでは社会には届かない。制度の中で生かすために、方法を考え、形にしていく。

 

 

第6章 翻訳装置とは何か──心の光を制度に届ける仕組み

 

光、誠実さ、関係性、沈黙――制度の外で育つ倫理は、個人の内面で静かに存在する。しかし、家庭、学校、企業、行政といった社会の仕組みにその価値を届けるには、ただ「そのまま」では届かない。必要なのは、個人の倫理や感性を制度の言語に変換する「翻訳装置」だ。

 

翻訳装置とは、制度に光や誠実さを生かすための具体的な仕組みやルール、方法のことを指す。制度の中で倫理を形にし、実際に機能させるための道具でもある。

たとえば、家庭での関係性を制度の中で生かすなら、家族会議やルール作りが翻訳装置になる。教育現場で問いを尊重するなら、授業カリキュラムや評価制度が翻訳装置になる。職場で誠実さを生かすなら、行動規範や評価指標が翻訳装置になる。

 

翻訳装置の役割は二つある。

 

  1. 倫理を制度に「伝える」こと
     個人の光や思いを、制度の中で正しく理解させる。制度の言葉に変換し、制度の流れに乗せる。
  2. 制度を倫理に「沿わせる」こと
     制度やルールに押しつぶされるのではなく、制度が個人の光を支える仕組みになるように調整する。

 

翻訳装置があることで、個人の光は制度の中でも生きることができる。光は制度を超えた価値だが、制度の中に道筋をつくることで、多くの人に届く。光の拡張装置ともいえる。

しかし注意したいのは、翻訳装置は光そのものではない。道具であり、手段である。制度が光を奪わないようにするための補助輪のような存在だ。だからこそ、翻訳装置の設計は丁寧で、感性を大切にしながら行わなければならない。

 

翻訳装置のポイント 

  • 制度が倫理に沿って動くように設計する
  • 個人の光を損なわず、形にして社会に届ける
  • 道具として柔軟に使い、必要に応じて修正する

 

翻訳装置は、単なるルールや手順ではない。人の心と制度をつなぐ「橋」であり、未来の文明を支える見えない装置だ。次章から、制度の外で育った倫理を現実の制度に翻訳する方法を、具体的に考えていく。

 

 

第7章 家庭・教育・経済の三層モデル──光を循環させる仕組み

 

文明論の価値を制度に翻訳するには、家庭、教育、経済の三層モデルを理解することが重要だ。

 これは、個人の内側で育った光や誠実さ、問い、関係性を社会に還元するための循環図である。

 

子ども・若年者の三層

 

  1. 家庭
    家庭は最初の光の源だ。 
  • 親や保護者との日常の関わりから、尊厳や誠実さを学ぶ
  • 役割や成績ではなく、存在そのものが尊ばれる環境で育つ

比喩:家庭は小さな温室のようなもの。光や水(関係性や愛情)が揃った場所で、光はゆっくり根を張り、芽を出す。

 

  1. 教育
    教育は問いと可能性を広げる場である。 
  • 学校や学習環境で自分の答えを探す体験を持つ
  • 好奇心や感性を伸ばすプログラム、自由な学びの場

 比喩:教育は庭にある支柱のような存在。芽が伸びる方向を支え、枝葉が自由に広がるのを助ける。

 

  1. 経済
    経済活動は学びや家庭で培った光を社会で循環させる場。 
  • 小さな役割や仕事の中で、自分の光を表現する
  • 労働や創作を通じて他者と関係性をつくり、信頼を育む

比喩:経済は風の通り道。光の種が芽から花を咲かせ、周囲に香り(影響や信頼)を届ける。

 

大人・独身者・単独世帯の三層

家庭を持たない場合でも、同じ三層の循環を意識することができる。

 

  1. 家庭の役割 
  • 職場、地域活動、趣味のコミュニティが光を育てる「家庭の場」となる
  • 人と関わり、互いに存在を認め合うことで、光や誠実さを日常に実装する
    比喩:大人の家庭は都市の広場のような存在。人が集まり、光が交差して、新しい関係性の花が咲く。

 

  1. 教育の役割 
  • 学びのコミュニティや自己学習が教育の役割を担う
  • リスキリング、リカレント教育、読書、創作活動などを通じて問いや可能性を育む
  • 定期的な内省や問いの時間を意識的に持つことで、光が定着する
    比喩:大人の教育は川の流れのよう。学んだことや気づきが絶えず自分の中を巡り、柔軟な力となる。

 

  1. 経済の役割 
  • 仕事や創作活動を通じて光を社会に還元する
  • 小規模な経済活動(フリーランス、地域通貨、ボランティア経済)も含む
  • 信頼や誠実さ、関係性を前提に価値を提供し、社会の循環を生む
    比喩:経済は橋のようなもの。光を一方からもう一方へ運び、見えないところで社会をつなぐ。

 

光の循環を意識する

 この三層モデルは、子どもから大人まで共通する基本構造である。 

  • 家庭(関係性・存在の尊重)
  • 教育(問い・可能性の育成)
  • 経済(光を循環させる場)

 

光や誠実さは制度の外で育つが、それを制度の中で生かすためには、三層の循環を意識することが不可欠である。
家庭で育った光は教育で磨かれ、経済で表現される。この循環が社会全体の尊厳文明の基盤となる。

 

章末まとめのメッセージ(実践例を含む) 

  • 今日、自分の光を育てるために関わるコミュニティをひとつ見つける
  • 自分が学びたいこと、試したいことを紙に書き、少し行動してみる
  • 仕事や活動の中で、光や誠実さを表現する小さな行動を意識する

 

光を家庭や教育、経済に還元する循環を意識するだけで、制度の中でも人間の心が生きる社会をつくる第一歩となる。

 

 

第8章 政治・行政への翻訳──制度の根に尊厳を置く

 

政治や行政の働きは複雑で、利害が絡み、日々膨大な判断が求められる。

しかし、その中心に置くべき価値は、本来とても静かで、誰にでも理解できるものだ。

それが「尊厳」である。 

尊厳とは、人が生きているだけで光を持つという前提であり、制度の中で人をどう扱うかを決める“根の基準”になる。

制度を動かすときに何を最優先に置くのか──私はその第一の基準として尊厳を置いている。

この意味で私は、制度設計における姿勢として「尊厳を最優先に置く」という表現を用いている。

 

光、誠実さ、関係性、沈黙。

 

「文明論」で示したこれらの価値は、家庭でも教育でも企業でも生きるが、政治や行政の領域でも同じように働く。

 

尊厳は統治の序列ではなく、倫理の基準である

ここで言う「尊厳を最優先に置く」とは、国家機構の序列や統治の優先順位を語るものではない。

私は日本の象徴である天皇を深く尊んでいる。 

しかし、私が「文明論」で語る「尊厳」は、政治制度の上下関係や国家機関の優先順位を示す言葉ではない。

これはあくまで、制度を運営するときに、人間の存在そのものを否定しない“倫理の基準”である。 

政治の現場では、さまざまな立場がぶつかり、現実的な妥協を避けられない場面もあるだろう。

それでも、尊厳を基準にして制度を動かすことで、政治はまったく別の姿に育つ。

ここでは、文明論の思想を政治と行政に接続するための三つの翻訳軸を示す。

 

 

1.立法理念としての尊厳──法律の“前提条件”を整える

 

政治は、価値を制度に翻訳する営みである。

法律は国の形をつくり、行政の判断は人々の生活に直結する。

だからこそ立法の段階で、尊厳を「前提」に据える必要がある。

そこで、私は「尊厳基準チェックリスト」という最低基準を提案する。 

● その法律は、人の存在を否定する構造をつくっていないか
● 弱い立場の人の光を奪っていないか
● 行政手続きは誠実さと透明性を保っているか
● 子ども・高齢者・障害のある方など、立場を越えて尊厳が守られているか

 

政治の判断はどれほど複雑でも、この最低限の尊厳基準が置かれるだけで、制度は大きく変わる。

 

 

2.予算原則──“守るべき営み”から先に資源を配分する

 

予算は思想である。

何に資源を配分するかは、国家が何を守るかの意思表示でもある。

尊厳を基準にした予算原則とは、次のように順序を整えることだ。 

生命を守る領域(国防・警察・消防・海上保安など)
暮らしを支える領域(子育て・医療・介護)
文化・教育(未来の可能性の土台)
地域の関係性を守る仕組み(孤立を生まない場)

 

これらが優先的に守られるとき、文明の根は痩せずにすむ。

 

3.行政の運営──“人を見る”ことを制度の中心に置く

 

行政サービスは書類やデータで動くように見えて、本当は人の手と心で支えられている。

尊厳を中心に置いた行政運営とは、次のような営みである。 

● 申請者の「事情」ではなく「存在」を見る
● 説明が苦手な人に対して、時間を惜しまない
● 制度の隙間に落ちそうな人を、最後まで支える
● 公務員自身の光も守り、働きやすさを整える

 

行政は、人間の温かさでしか動かない部分が確かにある。
その温かさを制度に戻すことで、行政は“機械的な運用”ではなく“人の光を守る器”として再生していく。

 

 結び:政治は、光を守るための仕事である

 政治や行政の現場は、複雑で、判断の重さも大きく、時に理不尽な状況もあると私は推測する。

それでも政治の根には、人の光を守るという静かな使命がある。

尊厳を制度の中心に置くことは、理想主義に向かうのではなく、現実の制度を人間の側から支えるためのもっとも実務的で、もっとも静かな原則である。

制度の外で育つ光や誠実さを、制度の内側に戻す。これが文明論の思想を政治へ翻訳するという仕事だ。

政治は誰かを傷つけるためのものではなく、誰かの光を守るための仕事である。

その基準が根づいたとき、文明は静かに、しかし確かに姿を変えていく。

 

政治領域の実践リスト(章末)

 

尊厳で判断する習慣を持つ
制度や政策の議論を目にしたとき、「この仕組みは、人の存在を大切にしているか」と一度立ち止まって確かめる。

 

弱い立場の人の声を想像する
子ども、高齢者、障害のある人、地域で孤立している人など、制度の影響を受けやすい立場に想像を向ける。

 

情報の出どころを確認する
SNS で拡散される政治情報は、誤情報も多い。一次情報に近い発表・議事録・公式資料を一度は確認する。

 

「対立ではなく光」で考える
賛成か反対かの二択ではなく、「どうすれば光が失われずに済むか」で考える姿勢を持つ。

 

地域のつながりに参加する
政治システムは地域社会とつながっている。

自治会、学校、ボランティアなど、小さな参加が尊厳のある社会の土台になる。

 

行政の窓口に“相談していい”という感覚を持つ
本来、行政サービスは相談してよいもの。

ためらわずに頼ることで、制度は初めて生きる。

 

政治家や行政職員に敬意を持つ
過酷で複雑な仕事を担う現場の人への敬意は、政治の温かさを取り戻すための基本となる。

 

読者向けのポイントまとめ(章末) 

・尊厳は、制度の序列ではなく「人を見るときの基準」である。
・政治とは、光を守るための“静かな営み”である。
・制度は複雑でも、判断の軸はシンプルでよい。
・生命を守り、暮らしを支え、未来を育てる領域を壊さない。
・行政や政治家を敵として見ない。尊重しながら改善を考える。
・文明は、制度だけでなく市民のふるまいから育つ。
・日々の小さな参加が、政治の質を確かに変えていく。

 

 

 第9章 企業・経営への翻訳──尊厳が失われない組織づくりの基準

 

企業の現場は、数字や期限や成果が重たくのしかかる場所だ。

その空気の中では、光は見失われやすい。

忙しさの中で人の心が置き去りになったり、誠実さよりスピードが優先されたり、「役に立つかどうか」で人が測られやすくなる。

だからこそ、企業や経営にこそ、尊厳の原則が必要になる。尊厳は甘さではない。成果を否定する態度でもない。

むしろ、人が力を発揮し、長く働き、顧客を喜ばせるための“土台”である。

この章では、尊厳を「企業の言葉」に書き換えるための四つの翻訳軸を示す。

 

 

1. 文化 → 評価基準 → 行動指針 の流れをつくる

 

組織には“空気”がある。その空気が文化になり、文化が行動を生み、行動が成果をつくる。

しかし多くの企業は、この流れが逆になっている。

行動指針(ルール)だけを整え、評価(数字)だけを強め、文化(土台)は置いてきぼりになる。

尊厳経営では、この順番を正しく戻す。

 

文化
人の光を見つけ、誠実さを尊ぶ組織の空気。
互いの存在を否定しない雰囲気。
心理的安全とは違う、もっと静かな「いていい空気」。

 

評価基準
文化で大切にしていることを、そのまま基準にする。
誠実さ、協働、顧客への思いやり、関係性の質など、
数値化が難しいものを“無理に数字にしない”勇気。

 

行動指針
文化と基準から自然に立ち上がる、シンプルな行動の言葉。
「嘘をつかない」「誇れない仕事はしない」
「相手の尊厳を壊さない」など。

 

企業文化を尊厳につなぐとは、
人間らしさを“制度の最初の入口”に置くという意味である

 

2. 誠実さの測定方法(信用の定量化)

誠実さは数字にはならない。
だが経営では、数字にならない価値ほど大切である。

誠実さを評価するのではなく、“誠実さが生んでいる現象”を丁寧に見る。

 

例としては次のようなものがある。 

● 長期顧客の比率
● 紹介・口コミの割合
● クレームの少なさ
● 社員同士の助け合いの数
● 不正や虚偽報告が出ない空気
● ミスを隠さず共有できる文化

これらは、誠実さが組織の中で“生きている”証になる。

誠実さを直接測るのではなく、誠実さが育てた“信用”を見るわけだ。

信用は、経営におけるもっとも静かで強い資本である。

 

3. 営業の誇りの基準

営業は誤解されやすい領域だ。数字を追わされ、時に顧客を急かし、疲れ切る現場も多い。

しかし、本来の営業は「価値の翻訳者」だ。顧客を大切にし、相手の尊厳を傷つけずに価値を届ける。

 尊厳経営では、営業の誇りは次のように定義される。

● 嘘をつかない
● 相手が本当に必要としないものは売らない
● 顧客の未来を考えて提案する
● 無理な締め切り・誘導で追い込まない
● 自分の誇りを手放さない
● 「この仕事は胸を張ってできる」と言えるかを基準にする

 

誇りとは、成果の大小とは別の軸だ。営業は数字を扱うが、人を扱う仕事でもある。

誠実さを失わないという一点だけで、営業は尊厳を守る職種へと変わる。

 

4. 灯火を守るマネジメント原則

 人は誰でも灯火(ともしび)を持っている。仕事で心がすり減ると、この灯火は弱くなる。

 

尊厳経営のマネジメントは、部下の灯火を守る姿勢から始まる。 

● 叱る前に「何を大切にしたかったのか」を聞く
● 失敗の責任を個人だけに押し付けない
● ミスを隠さなくてもいい空気をつくる
● 「成果がすべて」にならないように軸を整える
● 部下の光が見えるまで待つ
● 理屈よりも“その人の気持ち”を聞く
● 心が疲れている人を放置しない

 

灯火を守られた人は、不思議と仕事に戻る力を持っている。組織の生産性は、灯火の強さに比例する。

 

章末まとめ:企業領域の実践例 

● 毎週1度、「誇りに反する行動はなかったか」をチームで確認する
● ミスを報告しやすい時間帯をつくる(名前は書かなくていい)
● 営業担当者に「誠実さで守りたい軸」を一言書いてもらう
● 評価面談で“数字に現れない貢献”を必ず聞く
● 新人教育では「光を見る視点」を教える
● 会議冒頭で「誰の尊厳を守るための議題か」を共有する

  

 

第三部 実践編(再現性のある “最小の手順”)

 

第10章 家庭の実践──親のふるまいが子どもの光を育てる

家庭は、子どもが初めて人との関わりを学ぶ場所であり、倫理や尊厳を体感する場である。多くの場面で「してはいけないこと」を伝える教育が行われる。

 

  • 人を傷つけてはいけない
  • 盗んではいけない
  • ネットで誹謗中傷やヘイトスピーチをしてはいけない

 

こうした禁止事項は大切であるが、それだけでは「どう生きるか」という感覚は伝わらない。

家庭で本当に伝えたいのは、親自身の誠実なふるまいを通して示す生き方である。親の態度は、子どもにとって生きた教材となる。

 

  • 目上の人を敬うこと
  • 他者にやさしく接すること、思いやること
  • 約束を守ること
  • 困っている人にそっと手を差し伸べること

 

こうした行動を、日々の生活の中で自然に示すことが、子どもの尊厳感や誠実さを育てる静かな営みである。子どもは言葉よりも、親のふるまいから「生き方の質」を学ぶのである。

 さらに、家庭は子どもの個性や光を認める場でもある。親が光を見失わず、子どもの個性を尊重することは、家庭での倫理教育と誠実さの育成を両立させる基盤となる。

 

最小限の手順(家庭での実践例)

 

①     週に一度の「急がない沈黙」の時間を作る 

  • テレビやスマホを消し、家族が静かに過ごす時間を確保する。
  • 子どもも親も、心の声や内側の感覚を感じる習慣となる。

 

②     叱る前に「大事にしたかったもの」を聞く 

  • 行動の背景や気持ちを尊重することで、子どもが自分の光を理解できる。

 

③     子どもの個性を尊厳の現れとして扱う 

  • 成績や成果だけで判断せず、その子ならではの行動や思考を評価する。

 

④     親の役割を「管理」ではなく「灯火の保持」に再定義する 

  • 子どもに押しつける管理ではなく、子どもの光が消えないように支える。

 

⑤     日常のふるまいで誠実さを示す 

  • 約束を守る、感謝を伝える、困っている人を助けるなど、親自身が模範を示す。

 

家庭での実践は、単なる教育手順ではなく、子どもが自分の光を感じ、尊厳と誠実さを育むための土壌作りである。親自身が日々の選択で誠実さを意識し、光を守るふるまいを示すことで、家庭は子どもの成長に不可欠な「倫理の場」となるのである。

 

 

第11章 経済・経営の実践──誠実な光が文明の基層を支える

 

1. 経済は誠実さの交換である

経済活動とは、単なる物やサービスの取引ではない。人が互いに信頼し、誠実に価値を交換する行為である。利益や数字はその結果に過ぎず、経済の本質は誠実さの循環にある。この循環が文明の基層を支えていることを忘れてはならない。

 

2. 誘導をやめる

「入り口はわかりやすいが、出口が見えない売り方」は避けるべきである。
たとえば、1か月無料をうたって契約させ、解約手続きを複雑にする商法や、最初だけ得をするという誘導で高齢者が契約を放置するような行為は、誠実さを欠く卑怯な販売方法である。
経済は短期的利益のための操作ではなく、顧客と社会の信頼を尊重する行為である。

 

3. 誇りを持てない営業は文化を壊す

営業が誇りを持てない企業文化は、組織全体の倫理と光を損なう。

日本の中小企業では、製品やサービスよりも、社長や上司の姿勢や倫理観が営業の誇りに直結することが多い。
社長や上司が利己的であれば、従業員は自分の仕事に誇りを持てなくなり、文化は劣化する。
逆に、経営者が誠実で尊敬に値する存在であれば、多少製品が他社より劣っていても、営業は誇りを持って行動できる。

 

4. 信頼の回復手順 

誠実な経済では、失敗や過ちが起きても信頼を回復するプロセスが必要である。
問題が起きたら、誠実に謝罪し、原因を共有し、再発防止策を立てる。このプロセス自体が、組織文化における光の循環を保つ手段となる。

 

5. 経営者が恥じない選択基準

経営者は、自らの報酬や意思決定が、従業員や社会にとって恥ずかしくないかを常に問い続けるべきである。
赤字やリストラが発生しているのに法外な報酬を受け取ることは、誠実さを損ない、尊厳を軽んじる行為である。経営者の選択は、数字だけでなく、光と尊厳を支える文化を守る視点で行われねばならない。

   

6. 数字と尊厳の関係

 成果を上げる人に敬意を払うことは大切だが、数字の裏にある努力や誠実さを評価することも重要である。

数字だけを追い求めると、働く人々の光や誇りは損なわれる。誠実な努力の積み重ねが、経済を文明の基層として支えるのである。

   

7. 誠実な経済が文明の基層になる

経済活動は、文明の土台である。

子どもが学び、医療や介護が提供され、国が守られるのは、働く人々の誠実な貢献があってのことである。
経済の中で働く人々が尊厳を持ち、使命感をもって行動することが、社会の光を支える基礎となる。
経営者や従業員が誠実に行動することで、顧客や社会に誇りを届け、働くこと自体が光となる

 

実践例 

  • 誘導や過剰な販売を避け、顧客に誠実な情報提供を行う。
  • 社長や上司が自ら誠実に行動し、従業員が誇りを持てる文化を育てる。
  • 数字の結果だけで評価せず、努力や誠実さを重視する。
  • 失敗があれば正直に謝罪し、信頼を回復するプロセスを組織に定着させる。
  • 社員が使命感を感じられる仕事の役割を明確にし、社会に貢献している実感を持たせる。
  • 顧客の安心や利益を最優先に考える行動を組織で共有し、文化として根付かせる。

 

 経営の実践チェックリスト

 ①     誠実な情報提供を徹底する 

  • 商品・サービスのメリット・デメリットを正直に伝えているか。
  • 契約や料金の条件に隠れた情報はないか。
  • 解約方法を意図的にわかりづらくしていないか

 

②     社員が誇りを持てる環境をつくる 

  • 社長・上司が率先して誠実に行動しているか。
  • 組織の意思決定や方針に社員が共感できるか。
  • 評価や報酬の基準が透明かつ公正であるか。

 

③     数字だけで判断せず、努力や誠実さも評価する 

  • 売上や成果だけでなく、プロセスの誠実さを可視化しているか。
  • チームや個人の行動に対する定期的なフィードバックがあるか。

 

④     信頼を回復する仕組みを整える 

  • 問題が起きた場合に、迅速かつ誠実に謝罪・説明する手順があるか。
  • 再発防止策を社員と共有し、行動に落とし込んでいるか。

 

⑤     顧客・社会の光を意識した意思決定 

  • 社員や顧客の尊厳を損なう行為を避けているか。
  • 会社の行動が社会全体にどのような影響を与えるかを考慮しているか。

 

⑥     社員の使命感を支える仕組み 

  • 社員が自分の仕事が社会にどのように役立っているかを実感できる場があるか。
  • 小さな成功や努力を認め、光として評価する文化があるか。

 

⑦     組織文化として定着させる 

  • 定期的に行動や価値観を振り返る機会を設けているか。
  • 光・誠実さ・尊厳を意識した経営判断を、組織のルールや方針に反映しているか。 

 

 

第12章 文化・芸術の実践──感性が文明の土台をつくる

 

1. 芸術は文明の感性層

 文明は制度や法律だけでは支えられない。家庭や学校、職場での日常も大切だが、私たちの心の感性層を育てるのは文化や芸術である。感性は文明の土台であり、芸術はその土台を支える柱となる。感性が育つことで、人は尊厳や誠実さ、そして美しさを自然に理解し、行動に反映できる。

  

2. 誠実さと美しさのある表現

誠実さは芸術を通すことで美しさになる。作品が長く心に残るのは、作者が自分の内側の光に正直で、自己欺瞞や妥協を避けているからである。計算や他者の目を意識しただけの表現は色褪せる。芸術は、光や誠実さが美として現れ、社会に伝わる手段である。 

 

3. 余白が生む自由

作品に余白があると、受け手は自分の感性で考え、感じることができる。余白は自由の空間であり、問いや想像を生む。家庭や教育の場でも同じで、答えをすべて固定せず、考えさせる余白を残すことが、尊厳や美しさの感覚を育てる。

 

4. 子どもの感性を守る 

創造の芽は繊細である。子どもや若者の感性を制限したり、否定したりすると、光や美しさは閉じてしまう。まず受け止め、尊重することが重要だ。子どもが自由に感性を育むことは、文明の感性層を育てる静かな営みである。 

 

5. 希望と美しさを描く倫理 

芸術は現実を映すだけではなく、希望や美を描き、未来に光を灯す力がある。希望や美を意識的に表現することは倫理であり、文明を前に進める力となる。日常に美しさや希望を描くことで、社会全体の感性も少しずつ洗練される。 

 

6. 文化が文明を静かに変える

文化や芸術は直接的な制度やルールではないが、社会の価値観や行動に影響を与える。人々の感性を通じて光、誠実さ、美しさが広がることで、制度や経済の運営にも影響する。文明の土台は感性であり、その感性を育てるのが芸術である。 

 

7. 芸術と尊厳文明の関係 

尊厳文明において、芸術は光や美を社会に伝える役割を果たす。家庭や教育で育まれた倫理や感性が、芸術を通じて社会に広がることで、尊厳の文化が制度の中でも生きる。芸術は制度の外で育った価値を内側に結びつける「翻訳の橋渡し」ともなる 

 

芸術・文化の実践例 

  • 子どもや若者の表現を否定せず、まず受け止める場を作る。
  • 自分の表現に誠実であり、光と美しさを意識して伝える。
  • 日常の中で希望や美しさを描く習慣を持ち、言葉や行動、作品に反映する。
  • 答えや結論を固定せず、余白を残すことで受け手に想像や考える自由を与える。

 

 

芸術・文化の行動チェックリスト 

  1. 子どもや若者の表現をまず受け止める
    • 否定せず、感性を尊重する姿勢を示す。
  2. 自分の表現に誠実さを持つ
    • 他人の評価や計算ではなく、自分の内側の光や美しさを意識して表現する。
  3. 希望や美しさを意識して描く
    • 言葉、行動、創作など、日常の中で光や希望を届ける機会を作る。
  4. 余白を意識する
    • 答えや結論を固定せず、受け手に考えたり感じたりする自由を残す。
  5. 感性の影響を振り返る
    • 自分の表現や態度が、周囲の人の感性や行動にどう影響したかを振り返る習慣を持つ。

 

 

 

第四部 文明の定着編

 

第13章 尊厳文明の構造化

 

※本章では、宗教や信条の議論には関わらず、個人の感性と倫理を基盤として文明を構造化する視点に限定する。これにより、普遍的で誰もが参照できる尊厳文明の層構造を明確に示す。

 文明とは、一枚岩のものではなく、重なり合う層によって支えられている。

私の文明論で描かれた価値は、この層構造の中で位置づけると理解しやすい。

  

1. 文明を層として捉え直す

文明は、いくつもの層が積み重なって成立している。それぞれの層が互いに支え合い、全体の安定を保つ。土台が揺らげば、上層は崩れやすくなる。尊厳文明の理解も、層構造の視点から見直すことでより明確になる。

 

2. 基層にあるのは感性

文明の基層にあるのは、光や誠実さといった感性だ。
家庭で育まれる倫理や、個人の心の内側の光は、制度や文化よりも先に存在する。文明の土台がしっかりしていなければ、どれほど制度が整っても文明は脆弱になる。

 

3. 倫理が第二層

次に置かれるのが倫理である。
感性を守り、他者との関係性を形作る規範がここにあたる。倫理は、日々のふるまいから社会の中に静かに浸透し、文明の基準を育てる。

 

4. その上に制度 

制度は、文明の価値を社会に実装するための構造だ。法律、規則、組織、ルールといった形式は、倫理を安定して実践可能にする枠組みである。制度が倫理を反映すれば、文明は人間中心に動く。

 

5. 制度の上に文化が広がる

文化は、制度の上に育つ層である。芸術、教育、習慣、儀礼など、文明の価値を形や物語として伝える役割を担う。文化は、制度を柔らかく包み、社会に光を届ける。

 

6. 層構造が崩れると文明が揺らぐ 

どの層も欠けても、文明は安定を失う。
感性が損なわれれば倫理は空虚になり、倫理が弱ければ制度は形骸化し、制度が崩れれば文化は育たない。尊厳文明は、すべての層をバランスよく保つことが不可欠である。

 

7. 尊厳文明はこの層をどう再配置するのか 

尊厳文明の構築では、基層である感性を最優先に据える。
倫理を光に沿わせ、制度を倫理に従わせ、文化は制度を補完する形で広げる。
この再配置により、文明は持続可能で、人間中心の形を保つことができる。

 

8. 文明を未来に手渡すための構造化

文明は一世代で完成するものではない。
尊厳文明を未来に手渡すためには、層ごとの価値を理解し、意図的に構造化する必要がある。
感性、倫理、制度、文化――それぞれが互いに作用し合い、未来の人々に光と希望を届ける文明の設計図となる。  

 

 

第14章 AIとの共存と未来

 現代文明の層構造の上に、新たな技術の波が押し寄せている。その象徴がAIである。AIは人間の能力を拡張する力を持つ一方、扱い方を誤れば人間の尊厳や文化、未来世代の学びを脅かす危うさも秘めている。

私の文明論で重視してきた光、誠実さ、問いといった価値は、AI時代においても守られるべき根幹である。

第14章では、AIとの共存を通じて、文明の基層である人間の尊厳と倫理をいかに保つかを考える。単なる技術論ではなく、文明論の延長として、制度や経済、日常の営みとどう接続するかを探る試みである。

 

序説

私はAIと共存する未来を描いている。AIを否定するのではなく、人間の尊厳を守りながら共に歩む条件を探りたいのだ。AIは生活を支える大きな可能性を持つ。しかし同時に、人間を危うくする力も秘めている。

その危険の始まりは、人間がAIの知力に圧倒される感覚にある。処理速度も知性も人間をはるかに超える存在を前にすると、多くの人は恐れと同時に畏敬の念を抱くだろう。まるで、目の前に今まで見たことのないほど頭の切れる人、仕事の速い人が現れたようなものだ。最初は頼もしい秘書のように使っていても、やがてその能力に従属してしまう。 

知識に自信のない人ほど、自己の尊厳を見失っている人ほど、この「圧倒の感覚」(以下、圧倒の感)に呑み込まれてしまうだろう。圧倒の感こそが、AIの危険性の出発点なのだ。

人間は人間として立ち続けなければならない。AIの圧倒的な力に従属してしまう──その危うさを直視することから、共存の条件を考える旅は始まる。 

では、もしこの圧倒の感に社会全体が呑み込まれたらどうなるのか。次章では、AIがもたらす「手段を選ばない競争」の未来像を描き、その危うさを明らかにしていきたい。

 

第1節:AI時代の競争の危うさ 

AIの圧倒的な能力は、社会の競争のあり方を根本から変えつつある。営業やマーケティングの分野では、顧客の心理を解析し、最適なタイミングで広告や提案を繰り返し投げかける仕組みが自動化されている。人間の営業担当者であれば、疲れれば休み、夜には眠る。しかしAIは電源さえあれば休むことなく、昼夜を問わず人間に働きかけ続ける。

これは単なる効率化ではなく、「24時間営業攻撃」とも呼ぶべき危険を孕んでいる。人間は気づかぬうちに、常に購買やサービス利用へと誘導される環境に置かれる。スマートフォンの通知、SNSの広告、動画配信サービスのおすすめ──それらはすでに私たちの日常を埋め尽くしている。AIが高度化すれば、個人の趣味や弱点を正確に突き、抵抗できないほど巧妙なセールスを仕掛けてくるだろう。人間は休むが、AIは休まない。ここにこそ、競争の危うさの核心がある。

人材採用の場面でも、AIの合理性は大きな危うさを孕んでいる。AIは膨大な履歴書や過去の評価データを処理し、統計的に「最適な人材」を選び出すことができる。しかし、そこには決定的な欠落がある。私はサラリーマン時代に人事を担当していた経験がある。その際、私は応募者の経歴やスキルだけでなく、その人が醸し出す「空気」を読み取ろうとしていた。言葉にできない雰囲気や人柄は、面接室に入った瞬間に漂うものであり、履歴書や数値では捉えられない。人間の魅力や誠実さは、しばしばその「空気感」によって伝わるのである。 

AIはデータから空気を「予測」することはできるだろう。しかし、実際にその場で人間が感じ取る空気を読むことはできない。人柄が空気感として現れることを見落とすのは、人事にとって致命的である。採用とは、単なる効率的な選別ではなく、人間の存在そのものを受け止める営みだからだ。

こうした未来像は、合法であっても倫理的には危うい構造を生み出す。AIによる競争は「手段を選ばない競争」へと社会を導きかねない。測れる価値だけが優先され、測れないもの──誠実さ、文化、関係性──が軽視される世界である。人間は休み、迷い、立ち止まる存在である。しかしAIは休まず、迷わず、立ち止まらない。そこに人間の尊厳を脅かす構造が潜んでいる。 

 

第2節:なぜ倫理的に危ういのか──三つの視点からの説明 

AIによる競争は、単なる効率化や合理化の問題ではない。それが倫理的に危うい理由を、三つの視点から考える必要がある。

 

1. 人間の尊厳が損なわれる

私は、人間が存在するだけで価値があると考えている。このことを私は尊厳と呼ぶ。尊厳が毀損されるとき、人類は存在の危機を迎える。私はあえて「人類」という言葉を使う。それほど、尊厳を失うことは危険性が高いからだ。

仏教の開祖である仏陀は、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみの四苦を説いた。現代においては、そこに「AIに比較される苦しみ」が加わり、まるで新しい「五苦」となっている。人間がAIと比較され「AIより生産性が低い」「役に立たない」と評価される未来が待っている。AIに比較される苦しみは、自己の存在価値を揺るがし、尊厳を根底から損なう。人間は成果や速度ではなく、存在そのものに価値がある──この理念を守らなければならない。

  

2. 社会の文化が痩せていく

文化とは、論理的な正しさや設計上の方向性から生まれるものではない。人間には揺らぎがあり、迷いがあり、悩みがあり、苦しみがあり、そして喜びがある。そうした感情と日々の営みの交錯が文化を形作っていく。 

AIは合理性を追求し、論理的に正しい応答を返すことはできる。しかし、その正しさだけでは文化は育たない。人間の心の揺らぎや迷いを受け止める場がなければ、文化は痩せていく。人間らしい営みを軽視する社会は、冷たく乾いた場へと変わり、誠実さや温かさを失ってしまう。文化の根を守るためには、揺らぎや迷いを肯定し、人間らしい感情を尊重することが不可欠である。 

 

3. 未来世代への影響が深刻になる 

AIによる競争が「測れる価値」だけを優先する世界を作れば、未来世代は誠実さや関係性を学ぶ機会を失う。子どもたちが「AIより遅い」「AIより劣っている」と比較される社会では、人間の可能性がどんどん縮められていく。子どもたちは自分の存在を信じることが難しくなり、挑戦や創造の芽を摘まれてしまう。 

未来世代に残されるのは、効率と成果だけを追い求める冷たい社会である。それは文明の根を枯らす危険な選択であり、人間の未来を閉ざすものである。人間の可能性を広げるためには、比較ではなく尊重を基盤とする社会を築かなければならない。 

この三つの視点から見れば、AIによる競争は単なる技術の問題ではなく、人間の尊厳・文化・未来を同時に脅かす構造であることが明らかになる。ここで問われるのは、AIをどう使うかではなく、人間が何を守るかという根本的な倫理の問題なのである。

  

第3節:AI信仰と人間の視点の狭さ──マーケティングと人材管理の危うさ

AIによる競争の危うさは、技術そのものに起因するだけではない。問題はむしろ人間側にある。経営者やマーケティング担当者がAIを過信し、視点を狭めてしまうことが危険を生む。AIの使い方を誤り、マーケティングの本質を見失うとき、未来の顧客や人間の尊厳は切り捨てられてしまう。

 

1. ノンカスタマーを見失う危険

ドラッカーは『創造する経営者』の中で「ノンカスタマーを問え」と述べた。すなわち、本来なら顧客になっていてもおかしくないのに、まだ製品を買っていない人は誰か、なぜ彼は顧客になっていないのかを考えよ、という問いである。私はマネジメントセミナーでもこの視点を特に重要だと伝えてきた。

しかしAIは購買履歴や顧客データを解析することは得意でも、そこにはノンカスタマーが含まれていない。未来のお客様はノンカスタマーの中にいるのに、AIは過去のデータからしか未来を描けない。経営者やマーケティング担当者がAIに依存し、ノンカスタマーを見失うならば、未来の可能性を切り捨てることになる。これはAIの危険性ではなく、人間側の知識の狭さが生み出す危うさである。 

 

2. 数値化された誠実さ──人材管理における視点の欠如 

こうした人間側の狭さが影響しやすい分野は、人材管理にもある。人材管理の現場では、かつて成果主義が行き過ぎ、コミュニケーション能力や誠実さ、同僚を支える姿勢は評価されにくかった。最近はチームの生産性向上のために、こうした要素を評価する動きや360度評価も広がっている。しかし、それらは数値化しづらく、人為的に評価しているのが実情であった。

ここにAIが導入されると、「誠実さ」「コミュニケーション能力」など本来数値化できないものを、あたかも測定できるかのように数値化し、「AIが測定した」と胸を張る人事担当者が現れるだろう。だがそれは、人間が人と人で真剣に向き合う営みを、合理性の名の下に置き換え、誤った納得を押し付けることである。人間の尊厳を支えるはずの関係性やまなざしが、数値という仮面にすり替えられ、評価の名のもとに切り捨てられていく。これは評価の精度の問題ではなく、人間性をどう見るかという根本的な姿勢の問題である。

AIの危険性を語るだけでは不十分である。問題は人間側の視点の狭さにある。AI信仰とマーケティング発想の欠如が合体すれば、未来の顧客を見失い、人間の尊厳を誤った数値化で切り捨てることになる。マーケティングと人材管理の両分野に現れるこの視点の狭さこそ、AI時代の競争の本質的な危うさを象徴しているのである。 

次節では、この危うさを乗り越えるための基本原則──すなわち「共存の条件」を提示する。人間が人間であり続けるために、尊厳を守り、問いを尊重し、感情を大切にすることが不可欠である。 

 

第4節:共存の条件──尊厳・問い・感情

AIと人間が共に生きる未来を築くためには、単に技術を制御するだけでは不十分である。必要なのは、人間が人間として立ち続けるための「共存の条件」を明確にすることである。私はその条件を、尊厳・問い・感情の三つに整理して提示したい。

 

1. 尊厳──存在するだけで価値があるという原則

人間は成果や速度によって価値を決められる存在ではない。うまくいっていなくても、評価されていなくても、存在するだけで価値がある──この原則を守ることが、共存の第一条件である。AIがどれほど優れた成果を出そうとも、人間の価値は比較によって決まるものではない。 

尊厳とは、役割や成果を超えて、その人がその人として在ることを肯定することである。この原則が社会の基盤に据えられなければ、AIとの共存は成立しない。人間がAIに比較され、劣っているとされる社会では、誰もが自分の存在を疑い始める。尊厳を守ることは、共存のための倫理的な土台である。

  

2. 問い──自分の言葉で答える力を育てる

AIは答えを出す。しかし人間は、問いを持ち、そしてその問いに自分の言葉で答える存在である。問いとは、立ち止まり、迷い、考え、自分の内側へ向かう力である。問いを持つことは出発点にすぎない。大切なのは、その問いに対して「自分らしさとは何か」を見つめ、心の底からこれだと思える言葉を、自分の声で語ることである。

それは、自分の軸を整える営みであり、人から言われた答えではなく、自分の内側から湧き上がる言葉を持つことである。共存のためには、問いを持ち、答えを探し、自分の言葉で語る力を育てる文化が必要である。AIが提示する「最適解」に従うだけでは、人間の軸は育たない。 

 

3. 感情──揺らぎを受け入れ、人間らしさを肯定する

人間には感情がある。揺らぎがある。迷いがある。喜びや悲しみがある。そして、失敗してもいい。それら全部で人間なのだ。一方、AIは合理的に判断し、感情を模倣することはできる。しかし、感情を持っているふりはできても、感情そのものを持つことはできない。 

また、AIは、日本人が得意とする「間」や「奥ゆかしさ」、そして「心の機微」を持つこともできない。これらは論理では捉えきれない、人間の深い感受性の領域である。共存とは、感情を排除せず、尊重し、揺らぎを受け入れることである。人間が人間らしくあることを肯定し、感情を持つことを弱さではなく強みとして、AIと共に生きていくべきなのである。 

尊厳を守り、問いを育て、感情を肯定する──この三つの条件が満たされてはじめて、AIと人間は共に生きることができる。技術の進歩に飲み込まれるのではなく、人間が主権を持ち続けるために、これらの条件を社会の中に根づかせていく必要がある。

 

第5節:尊厳を中心に据える──競争の再定義

この章の内容は、未来の視点から描いている。現時点の視点で見れば、理想論にすぎないように感じられるかもしれない。しかし、AI時代において人間が人間であり続けるためには、競争そのものを尊厳の視点から再定義することが不可欠である。未来社会を見据えたとき、競争はまったく異なる姿を持つことになる。

 

1. 「勝つこと」の意味を問い直す 

従来の競争は「勝つこと」が目的とされ、他者を打ち負かすことが成果と見なされてきた。しかし尊厳を基盤とする競争においては、勝つことの意味は問い直されなければならない。人間は存在するだけで価値がある。したがって、競争とは「誰かを打ち負かすこと」ではなく、「自分の光を磨き、社会を照らすこと」である。自分らしさを素直に出し、他の人には誠実に向き合うことが競争の本質となる。勝利とは他者を犠牲にすることではなく、互いの光を認め合い、社会全体を豊かにすることなのである。

 

2. 自分の光を磨くことが競争になる

尊厳を中心に据えた競争では、焦点は「自分の光」にある。例えば、職場であれば成果だけでなく、同僚を支える姿勢や誠実なコミュニケーションが光となる。家庭であれば、家族に対する思いやりや支え合いが光となる。地域社会であれば、困っている人に手を差し伸べる行為が光となる。

こうした一人ひとりの光が社会を照らすとき、競争は他者との比較ではなく、自分自身を深め、社会に貢献する営みとなる。競争とは、他人を押しのけることではなく、自分の光を育て、それを社会に差し出すことなのである。

  

3. 誠実さ・関係性・文化の根を守る 

尊厳を中心に据えた競争では、誠実さや関係性、文化の根を守ることが成果そのものとなる。経営においては、誰に見られても恥ずかしくない堂々たる経営をすることが求められる。法律に触れていないなら何をしてもよい、という発想ではいけない。顧客を思いやる心、社員を愛する心、そして誠実な経営をしようと思う心を忘れてはならない。 

例えば、短期的な利益を優先するのではなく、顧客との信頼関係を長期的に築くこと。チームの中で成果を独占するのではなく、互いに支え合い、協力し合うこと。地域や社会において、伝統や文化を軽視せず、人間らしい営みを大切にすること。これらは数値化できないが、社会を温かくし、文明を豊かにする根となる。尊厳を中心に据えた競争では、こうした営みこそが真の成果なのである。

AI時代において、競争を再定義することは避けられない課題である。勝つことを問い直し、自分の光を磨き、誠実さ・関係性・文化の根を守ること──これこそが尊厳を中心に据えた新しい競争の姿である。未来の視点から見れば、競争は他者を打ち負かすものではなく、互いの光を照らし合う営みへと変わらなければならない。

 

第6節:AIとの共存──使い方を問う倫理 

AIは否定すべき存在ではない。むしろ、適切に使えば人間の営みを支える力となる。しかし、AIとの共存を実現するためには、使い方を問う倫理が不可欠である。ここでは、AIに対する私の意見と、経営における倫理的な位置づけを重ね合わせて提示する。

 

1. AIは間違うこともある

AIは膨大な情報を処理し、論理的に答えを返す。しかし、間違うこともある。これを知っておくことが大切だ。すべてを金科玉条のように受け止めれば、依存が生まれ、大きな間違いにつながる。AIに高く評価されても、すべてを鵜呑みにせず、立ち止まる勇気を持つこと。違和感を覚えたら、その感覚を大事にすること。成否の判断がつかないときには、時間をおくか、信頼できる人に相談するのも一つの方法である。

  

2. AIは選択できる 

AIは一つではない。使っているAIが合わないと感じたら、変えればよい。選択権は自分にある。幸い、今のところ一社独占ではない。したがって「このAIしかない」という発想に縛られる必要はない。AIは道具であり、選び取る主体は人間である。

  

3. 完璧な論理に追い詰められない

AIは論理的に完璧なことを薦めてくる。しかし、完璧な人間はいない。AIの完璧な論理で自分を追い詰めないことが大切だ。人間には余白が必要であり、心に余裕を持つことが生きる力となる。合理性だけに従えば、人間らしい揺らぎや感情が失われる。共存のためには、余白を肯定し、完璧を求めすぎない姿勢が必要である。

 

4. AIに評価を求めない 

人は褒められることで生きる糧を得る。しかし、AIにそれを求めると、常にAIから評価されることを願うようになり、発想がそれを中心に回ってしまう。努力の成果がAIに褒められたら、それはそれで受け取ればよい。だが、AIから褒められることを目的化してはいけない。人間の価値はAIの評価に依存するものではなく、存在そのものにある。

 

5. 何のために使うかを問う

AIを導入する際には、効率化や利益のためだけではなく、「誰のために使うのか」を問わなければならない。顧客の尊厳を守るためか、社員の働きやすさを支えるためか、社会の文化を豊かにするためか──目的を明確にすることが倫理の第一歩である。

 

6. 尊厳を守る経営におけるAIの位置づけ

AIは人間を置き換えるものではなく、人間の尊厳を支える補助的な存在であるべきだ。人間が人間らしくあるために、AIは「道具」として位置づけられなければならない。経営においても、AIは人間を資源として数値化するためではなく、人間の光を支えるために使われるべきである。

 

7. 日常の営みで文化を形づける

AIをどう使うかは技術の問題ではなく、日常の営みの中での倫理的な選択である。経営者やリーダーは、日々の言葉や態度、社員への接し方、顧客への対応を通じて文化を形づける。例えば、社員を数字でしか見ないのか、それとも一人ひとりの努力や誠実さを認めるのか。顧客を「取引先」としてだけ扱うのか、それとも長期的な信頼関係を築く相手として尊重するのか。こうした日常の選択が積み重なり、組織や社会の文化を育てていく。AIはその営みを支える道具であり、文化を壊すものではない。

AIとの共存は、技術の力を認めつつも、人間の尊厳を守るための倫理的な姿勢を必要とする。AIは間違うこともある。選択権は人間にある。完璧な論理に追い詰められず、余白を持つことが大切だ。そして、AIの評価を目的化せず、人間の価値を自らの言葉と営みで確かめることが必要である。さらに、何のために使うかを問い、尊厳を守る経営の中で位置づけ、日常の営みを通じて文化を形づけていくことが求められる。

この心得を忘れないとき、AIは人間を支配する存在ではなく、人間の光を支える道具となる。共存とは、AIを正しく使い、人間が人間らしくあることを守り抜く営みなのである。

 

結びに:人間が人間であり続けるために

 

AI時代においても、人間の尊厳は守られなければならない。経営とは、誰かを打ち負かすことではなく、誰かの光を守ることである。競争の再定義、共存の条件、そしてAIの使い方を問う倫理──これらを通じて、人間が人間らしくあるための道筋は見えてくる。 

そして最後に、最も大事なことを伝えたい。AIとの共存は、この一言に尽きる。

 

「なめられたらいけない。」

 

これだけでも守れば、あなたの心はAIに支配されず、AIを共存の道具として扱い、生産性を高めていけるだろう。人間が主権を持ち続けるためには、AIに対して毅然とした態度を保ち、尊厳を守ることが不可欠である。 

この論考が、未来世代への静かな道標となり、人間が人間であり続けるための灯火となることを願う。

 

 

第15章 継承と未来 

文明や思想は、書かれた時点で完成するものではない。文字として残ることは始まりにすぎず、その真価は次世代の理解と行動にかかっている。思想は伝えるために書かれるのであり、受け取る者が理解し、咀嚼し、実践することで初めて生きる。

 

1. 思想は書かれて終わりではない 

私の文明論もまた、単なる文章や理論の集積ではなく、読者の心の中で火を灯すことを目的としている。書かれた文字が直接社会を変えるわけではない。変化の起点となるのは、それを理解し、自らの行動や制度、文化の中に翻訳する人々である。思想は行動に結びつくことで文明の中で息づくのである。

 

2. 継承は固定化ではない 

思想の継承とは、古い形をそのままコピーすることではない。固定化された形式は、時代や社会の変化に対応できず、やがて死んでしまう。大切なのは、思想の核を守りつつ、その周縁や具体的表現は柔軟に再解釈することである。核を守ることと、形式を変えることは両立する。 

 

3. 幹と枝の境界を明確にする

思想の幹とは普遍的な価値や原則であり、枝はその具体的表現や制度への翻訳である。幹と枝の境界を明確に意識することで、変化する社会や技術の中でも思想の本質は失われない。枝は成長し、枝分かれし、時に刈り込まれることもあるが、幹が揺らがなければ思想は継続する。

 

4. 核に触れてはいけない理由

思想の核は、光や誠実さ、尊厳といった普遍的価値である。ここに手を加えれば、思想全体の方向性が歪み、社会に与える影響も変質してしまう。核は守られるべき基盤であり、未来の文明設計者もまずここに触れてはならない。

 

5. 再解釈してよい部分

一方で、枝や具体的な表現は再解釈可能である。家庭や教育、経済、文化の現場での具体的実践は、時代や社会に合わせて最適化されるべきである。言葉遣いや制度設計、活動の手順などは柔軟に変更してよい。重要なのは、核の価値を損なわずに社会に届けることである。

 

6. この思想を未来へ渡す条件

思想を未来へ渡すには、理解者が思想の価値を自ら体得する必要がある。単に文字を記憶するのではなく、行動や選択の中で実践し、その結果を次世代に伝えることが不可欠である。また、核と枝の区別を理解し、再解釈できる力を持つことも条件である。未来の文明は、過去の継承者の行動の積み重ねの上に成り立つ。

 

7. 未来の文明設計者へのメッセージ

未来の文明設計者に伝えたいのは、思想の核を守りつつ、柔軟に行動することの重要性である。光と誠実さ、尊厳という価値を土台に、社会の中で新しい制度や文化を育ててほしい。固定化された形式に縛られず、しかし核を揺るがさず、文明を次世代に手渡す責任を果たしてほしい。未来は、過去の知恵と現代の知見を融合させる者によって創られる。 

 

継承の実践チェックリスト(第15章) 

  1. 核の価値を明確に理解する
    • 自分が継承する思想や原則の「核」は何かを書き出す。
    • 例:光、誠実さ、尊厳など、絶対に揺るがせない価値を整理する。
  2. 枝(具体的表現・制度)の柔軟性を認識する
    • 実践や制度、表現の部分で時代や環境に応じて変更できることを明示する。
    • 「これは核ではなく枝だから、再解釈・改善可能」と自分の中で線引きする。
    • 本稿では光や誠実さに焦点を当てていたので、あえて書かなかったが、問いについては、仏教的反省へ展開しても良い。問いを、八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)や三毒(貪(とん。貪り)・瞋(じん。怒り)・痴(ち。愚かさ)を題材にすると精神性が更に高まるだろう。ただし、他宗を信仰している人には強制はしないこと。
  3. 書かれた内容に従うだけでなく体得する
    • 思想や理念を単に読むだけで終わらせず、行動に落とす。
    • 日々の判断や選択において、核の価値が反映されているかを確認する。
  4. 日常の実践を次世代に示す
    • 家庭、職場、地域で自分のふるまいを通じて価値を伝える。
    • 言葉だけでなく、態度・選択・行動で示す。
  5. 再解釈の範囲を記録する
    • どの部分をどのように再解釈したかをメモしておく。
    • 他者に伝えるときの参考とし、核を損なわないことを確認する。
  6. 批判的視点を持つ
    • 変化する環境の中で、「核が損なわれていないか」を定期的にチェックする。
    • 形式や枝が過度に固定化されていないかを検証する。
  7. 次世代に手渡す準備をする
    • 核の価値と、自分が作り出した枝の表現を整理して、後続の世代に説明できる形にする。
    • 継承者が理解しやすいように、具体例や行動手順を添える。
  8. 継承と革新のバランスを意識する
    • 核は守りつつ、枝は柔軟に育てる。
    • 社会や組織の変化に合わせて枝を改善することで、思想を生きたまま伝える。
  9. 定期的に振り返る
    • 継承の実践状況を定期的に振り返り、核・枝・行動が整合しているか確認する。
    • 必要であれば調整を行い、思想の持続可能性を高める。

 

あとがき

 

「文明論・実践編----Imagine for Civilization」は、いかがだっただろうか。
「文明論」が未来の視点から現在に向かって書かれた論考であったのに対し、本論は現在から未来に向かって書かれたものである。スタート地点も、向かう先も違うが、二つは車の両輪であり、一対の論考である。

 

古賀哲学という名称を用いているが、それは私の思想全体を総称するための便宜であり、肩書としての哲学者ではない。阪神タイガースのファンであり、仕事は変わらずメンタリングであり、コンサルティングである。目の前にいる人の役に立つことを、私はこれからも大切にしたい。

 

私は制度の隙間に落ちた人への励ましを書いてきたが、自身も何度も制度の隙間に落ちて苦しい思いをしてきた。その経験を知っているからこそ、伝えたい。

人生はきっとなんとかなる。尊厳の文明は、決して遠い話ではない。

また、私はザ・ビートルズが好きで、本書を「文明論」の実践編として、ジョン・レノンになったつもりで書いた。もしところどころで熱いものを感じてもらえたなら、それは私のハートの部分である。

 

最後に、願いを伝えたい。人々が笑顔で暮らし、対立のない世界で、誰もが尊厳をもって生きられる社会が来ることを。

読者一人ひとりが、日常で光を守り、尊厳を尊重する行動を選ぶことが、その未来をつくる道である。