ポストドラッカーの時代 |
私のブログを読まれる方は、「ドラッカーのことによく触れるなぁ」と思われているでしょう。
というより、経営に関して書いている人が、P.F.ドラッカー教授に触れていない、引用していない方がおかしいのですよね。
なぜなら、現代のマネジメントや経営の手法、考え方、理論は、ほとんどがドラッカー教授が考え出したものか、発見したものなのです。
ドラッカー教授が発見したり、発明したりしたものは、私が今挙げられるもので、次のものがあります。
というより、経営に関して書いている人が、P.F.ドラッカー教授に触れていない、引用していない方がおかしいのですよね。
なぜなら、現代のマネジメントや経営の手法、考え方、理論は、ほとんどがドラッカー教授が考え出したものか、発見したものなのです。
ドラッカー教授が発見したり、発明したりしたものは、私が今挙げられるもので、次のものがあります。
「マネジメント」、
「イノベーションの機会」、
「コア・コンピタンス」、「目標管理」、
「経営戦略」、
「顧客第一」、
「民営化」、
「知識労働者」、
「ABC会計」、
「ベンチマーキング」、
「分権化」、
「職場の整理整頓」などがあり、他にももっとあるはずです。
マーケティングの父ともいわれるフィリップ・コトラー教授は、「人はドラッカーをマネジメントの父といい、私をマーケティングの父という。ありがたいことだが、もしそうならば、ドラッカーはマーケティングの祖父である」と述べています。
ハーバード大学のセオドア・レヴィット教授は、「マーケティングを確立したのは、ピーター・F・ドラッカーである」と述べています。(『P・F・ドラッカー 理想企業を求めて』、エリザベス・ハース・イーダスハイム著 上田惇生訳、ダイヤモンド社)
マーケティングの真髄を知り、その根幹を言葉に表したのは、ドラッカー教授だったということでしょう。
ドラッカー教授は、初めて来日したときに、「ドラッカー教授」と声をかけられると、「私は教授ではない、コンサルタントだ。アメリカにコンサルタントはたくさんいるが、トップマネジメントのコンサルタントは私だけだ」と言ったそうです。(『日本に来たドラッカー 初来日編』、山下淳一郎監修、同友館)
日本で一番有名で実績があるコンサルタントといえば、一倉定(いちくらさだむ)さんでしょう。
一倉定さんが残した実績は偉大でありますが、一倉定さんのコンサルティングがオリジナルであったかというと、そうではありません。
一倉定さんが自身のコンサルティングの参考にしたものは、田岡信夫さんの「ランチェスター戦略」だけが実名で紹介されています。
それ以外では、財務的なものは、S精密のS専務を参考にしたことが『一倉定の社長学シリーズ』(日本経営合理化協会出版局)に書かれています。この方は一倉定さんの書物には実名が載っていませんが、スター精密という東証一部上場企業の佐藤社長のことです(当時は専務だったためS専務と記載されていた)。
そして、ランチェスター戦略や財務戦略以外は、何を(or 誰を)参考にしたかを、一倉定さんご本人は全く触れていませんが、私はドラッカーの『現代の経営』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)を元にしていたと推測しています。
マーケティングの父ともいわれるフィリップ・コトラー教授は、「人はドラッカーをマネジメントの父といい、私をマーケティングの父という。ありがたいことだが、もしそうならば、ドラッカーはマーケティングの祖父である」と述べています。
ハーバード大学のセオドア・レヴィット教授は、「マーケティングを確立したのは、ピーター・F・ドラッカーである」と述べています。(『P・F・ドラッカー 理想企業を求めて』、エリザベス・ハース・イーダスハイム著 上田惇生訳、ダイヤモンド社)
マーケティングの真髄を知り、その根幹を言葉に表したのは、ドラッカー教授だったということでしょう。
ドラッカー教授は、初めて来日したときに、「ドラッカー教授」と声をかけられると、「私は教授ではない、コンサルタントだ。アメリカにコンサルタントはたくさんいるが、トップマネジメントのコンサルタントは私だけだ」と言ったそうです。(『日本に来たドラッカー 初来日編』、山下淳一郎監修、同友館)
日本で一番有名で実績があるコンサルタントといえば、一倉定(いちくらさだむ)さんでしょう。
一倉定さんが残した実績は偉大でありますが、一倉定さんのコンサルティングがオリジナルであったかというと、そうではありません。
一倉定さんが自身のコンサルティングの参考にしたものは、田岡信夫さんの「ランチェスター戦略」だけが実名で紹介されています。
それ以外では、財務的なものは、S精密のS専務を参考にしたことが『一倉定の社長学シリーズ』(日本経営合理化協会出版局)に書かれています。この方は一倉定さんの書物には実名が載っていませんが、スター精密という東証一部上場企業の佐藤社長のことです(当時は専務だったためS専務と記載されていた)。
そして、ランチェスター戦略や財務戦略以外は、何を(or 誰を)参考にしたかを、一倉定さんご本人は全く触れていませんが、私はドラッカーの『現代の経営』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)を元にしていたと推測しています。
口の悪い人(笑)だと「一倉定は、ドラッカーのパクリだ!」と言う人もいるでしょうが、パクリというより、一倉定さんから見て、ドラッカーの経営理論で大事だと思ったところを抜き出し、具体化して拡大したというのが正解かと思います。
不等号で表すと、
一倉定 < ドラッカー
こんな感じでしょうか。
ですから、一倉定さんの影響を受けて、コンサルティングをしているようなコンサルタントAさん(不特定の人です)は、次のようになります。
A < 一倉定 < ドラッカー
このAの位置にいる日本のコンサルタントは多いと思います。
例えば、Aの位置の方としては、武蔵野の小山昇さんがいます。小山昇さんは、「私はパクリの天才です」とご自分で言っていますし、一倉定さんのコンサルティングを簡略化して使っているような感じですよね。
それから、小宮一慶さんも、この位置かなと思います(Aの位置にいるから悪いという意味ではありませんよ)。
それから、マーケティングの分野では、次の不等式になります。
コトラー < ドラッカー
それゆえ、コトラー教授の影響を受けて、そのマーケティング理論を応用するなり、使っている人は、次のBの位置になります。
B < コトラー < ドラッカー
経営戦略の分野なら、
C < ポーター < ドラッカー
まぁ、ほとんどの経営コンサルタントが、Aか、Bか、C の位置にいるでしょう。
ところがです、ドラッカー教授が亡くなって、約12年です。
世界は混とんとし、グローバリズムと反グローバリズムが対立しています。情報は急激に増加し、買い手が主導権を握っています。少子高齢化社会は進み、AIが今後経済や生活にどのように影響を及ぼすか計り知れません。
経営がより難しい時代になっています。でも、その解決方法をドラッカー教授に聞くことはできないのです。
A < 一倉定 < ドラッカー < D ☜ ココ
Dの部分、ここに入る経営理論が今求められているのです。
不等号で表すと、
一倉定 < ドラッカー
こんな感じでしょうか。
ですから、一倉定さんの影響を受けて、コンサルティングをしているようなコンサルタントAさん(不特定の人です)は、次のようになります。
A < 一倉定 < ドラッカー
このAの位置にいる日本のコンサルタントは多いと思います。
例えば、Aの位置の方としては、武蔵野の小山昇さんがいます。小山昇さんは、「私はパクリの天才です」とご自分で言っていますし、一倉定さんのコンサルティングを簡略化して使っているような感じですよね。
それから、小宮一慶さんも、この位置かなと思います(Aの位置にいるから悪いという意味ではありませんよ)。
それから、マーケティングの分野では、次の不等式になります。
コトラー < ドラッカー
それゆえ、コトラー教授の影響を受けて、そのマーケティング理論を応用するなり、使っている人は、次のBの位置になります。
B < コトラー < ドラッカー
経営戦略の分野なら、
C < ポーター < ドラッカー
まぁ、ほとんどの経営コンサルタントが、Aか、Bか、C の位置にいるでしょう。
ところがです、ドラッカー教授が亡くなって、約12年です。
世界は混とんとし、グローバリズムと反グローバリズムが対立しています。情報は急激に増加し、買い手が主導権を握っています。少子高齢化社会は進み、AIが今後経済や生活にどのように影響を及ぼすか計り知れません。
経営がより難しい時代になっています。でも、その解決方法をドラッカー教授に聞くことはできないのです。
A < 一倉定 < ドラッカー < D ☜ ココ
Dの部分、ここに入る経営理論が今求められているのです。
このDの部分に入る経営理論(マネジメント)、ポストドラッカーの経営理論は、まだ現れていません。
ただ、言えることが一つあります。
それは、ポストドラッカーの経営理論は、「反ドラッカーではないし、非ドラッカーでもない」ことです。 ドラッカー教授の経営理論を体系の軸にすえながら、それを発展させたものであることです。
では、ポストドラッカーの時代、ポスト資本主義社会、知識社会はどのような特徴があるでしょうか?
一つ目は、顧客(消費者)の価値観によって、企業が揺さぶられる時代です。そして、企業が発する広告宣伝の影響力が小さくなっていくでしょう。
ソーシャルメディアの発展によって、価値観や欲求を共有する消費者が、”ゆるいけど、決して侮れない”つながり(コミュニティ)を持っています。
何らかの理由で不評を買った企業の製品やサービスに対し、消費者がソーシャルメディアで不買を呼びかけて、実際に不買運動をしているというケースがありますよね。
そうしたソーシャルメディアによる意図的な呼びかけがだけではなく、”何にも考えていない”単なるつぶやきや写真投稿が、企業の業績に影響を与える時代になっています。
この呼びかけや、単なる発信が大きな力を持つ時には、共通の価値観を持った人の共感の連鎖というものがあります。
特に価値観に反することは、怒りを呼び、人の感情をかきたてるので、いっきに広がります。
それゆえ、企業は法律に違反しないことはもとより、道徳的、倫理的に反していないことも大切になりますし、身勝手なこと、汚いこと、コソコソと卑怯なことをしてもいけなくなるのです。
つまり、当たり前の正しさを実直に実行している企業が評価される時代なわけです。
裏表なく誠実で、綺麗な(笑)企業が勝ち残っていく時代なのです。
ただ、言えることが一つあります。
それは、ポストドラッカーの経営理論は、「反ドラッカーではないし、非ドラッカーでもない」ことです。 ドラッカー教授の経営理論を体系の軸にすえながら、それを発展させたものであることです。
では、ポストドラッカーの時代、ポスト資本主義社会、知識社会はどのような特徴があるでしょうか?
一つ目は、顧客(消費者)の価値観によって、企業が揺さぶられる時代です。そして、企業が発する広告宣伝の影響力が小さくなっていくでしょう。
ソーシャルメディアの発展によって、価値観や欲求を共有する消費者が、”ゆるいけど、決して侮れない”つながり(コミュニティ)を持っています。
何らかの理由で不評を買った企業の製品やサービスに対し、消費者がソーシャルメディアで不買を呼びかけて、実際に不買運動をしているというケースがありますよね。
そうしたソーシャルメディアによる意図的な呼びかけがだけではなく、”何にも考えていない”単なるつぶやきや写真投稿が、企業の業績に影響を与える時代になっています。
この呼びかけや、単なる発信が大きな力を持つ時には、共通の価値観を持った人の共感の連鎖というものがあります。
特に価値観に反することは、怒りを呼び、人の感情をかきたてるので、いっきに広がります。
それゆえ、企業は法律に違反しないことはもとより、道徳的、倫理的に反していないことも大切になりますし、身勝手なこと、汚いこと、コソコソと卑怯なことをしてもいけなくなるのです。
つまり、当たり前の正しさを実直に実行している企業が評価される時代なわけです。
裏表なく誠実で、綺麗な(笑)企業が勝ち残っていく時代なのです。
それから、ソーシャルメディアの発達によって、企業の発信する広告宣伝の影響力が小さくなっていますね。
私事ですが、昔はゲーマーでした(笑)。最近は、時間がないのでほとんどできないのですが、昔は『ファミ通』という雑誌のクロスレビューという評価を見て、新しいゲームを買う参考にしていました。
しかし、この『ファミ通』の評価が全然当てにならなくて、自分がやって「最高だなー!」って思うゲームの評価が少し低かったり、『ファミ通』で評価が高いからやってみたら、「つまらないゲーム」ってこともあったのですね。
そしたら、最近はソーシャルメディアではありませんが、アマゾンの購入ページに評価が載っていまして、これが参考になります。評価している人が一人という場合は当てになりませんが、たくさんの人が評価していて、共通した不満などは、多くの人が感じるところなので参考になるんですね。
実際、ゲームを購入してやってみると、「あ、なるほど、このことか」みたいな感じで納得するのです。
企業の宣伝文句より、ソーシャルメディアや、ネット上の生の声の影響力が大きくなる傾向は、今後ますます強くなるでしょうね。
こうしたネット上の口コミ力や評価の力がどのように発展していくのか、まだ分かりませんが、広告宣伝が難しくなっているのは確かです。
つまらない製品やサービスを提供しても、すぐにバレて、ネット上にその評価が拡散し、データとして残りますので、当たり前のことに戻るのですが、企業は顧客が支持するものを、誠実に、まじめに提供していかなければならないのです。
企業は、ミッションや実際のマーケティング活動において、人々が共感する価値を提供して、人の幸福や生活の安定に貢献していることを認識してもらうことによって、売上を上げていくことになるでしょう。
ポスト資本主義社会、知識社会の二つ目の特徴は、あくまで予想ですが、創造的な社会であり、スピリチュアルな社会です。
なぜこのように思うかというと、人の消費がモノ消費から、コト消費へ移っていますよね。コト消費というのは、体験、思い出、人間関係などで、目に見えない価値なんですよね。
目に見えるモノから、目に見えないモノへの移行が起きているので、人が段々とピュアな方向へ進んでいるような気がするのです。
ダニエル・ピンクも『ハイコンセプト』の中で、人類の進化を、狩猟民、農民、ブルーカラー労働者など肉体を使う仕事から始まって、その後左脳を使うホワイトカラー労働者や企業幹部に進み、最終的に右脳を使うアーティストに至ると述べています。
そうなると、人類は右脳の段階に入ってくるのかなと思われるのですよね。
私事ですが、昔はゲーマーでした(笑)。最近は、時間がないのでほとんどできないのですが、昔は『ファミ通』という雑誌のクロスレビューという評価を見て、新しいゲームを買う参考にしていました。
しかし、この『ファミ通』の評価が全然当てにならなくて、自分がやって「最高だなー!」って思うゲームの評価が少し低かったり、『ファミ通』で評価が高いからやってみたら、「つまらないゲーム」ってこともあったのですね。
そしたら、最近はソーシャルメディアではありませんが、アマゾンの購入ページに評価が載っていまして、これが参考になります。評価している人が一人という場合は当てになりませんが、たくさんの人が評価していて、共通した不満などは、多くの人が感じるところなので参考になるんですね。
実際、ゲームを購入してやってみると、「あ、なるほど、このことか」みたいな感じで納得するのです。
企業の宣伝文句より、ソーシャルメディアや、ネット上の生の声の影響力が大きくなる傾向は、今後ますます強くなるでしょうね。
こうしたネット上の口コミ力や評価の力がどのように発展していくのか、まだ分かりませんが、広告宣伝が難しくなっているのは確かです。
つまらない製品やサービスを提供しても、すぐにバレて、ネット上にその評価が拡散し、データとして残りますので、当たり前のことに戻るのですが、企業は顧客が支持するものを、誠実に、まじめに提供していかなければならないのです。
企業は、ミッションや実際のマーケティング活動において、人々が共感する価値を提供して、人の幸福や生活の安定に貢献していることを認識してもらうことによって、売上を上げていくことになるでしょう。
ポスト資本主義社会、知識社会の二つ目の特徴は、あくまで予想ですが、創造的な社会であり、スピリチュアルな社会です。
なぜこのように思うかというと、人の消費がモノ消費から、コト消費へ移っていますよね。コト消費というのは、体験、思い出、人間関係などで、目に見えない価値なんですよね。
目に見えるモノから、目に見えないモノへの移行が起きているので、人が段々とピュアな方向へ進んでいるような気がするのです。
ダニエル・ピンクも『ハイコンセプト』の中で、人類の進化を、狩猟民、農民、ブルーカラー労働者など肉体を使う仕事から始まって、その後左脳を使うホワイトカラー労働者や企業幹部に進み、最終的に右脳を使うアーティストに至ると述べています。
そうなると、人類は右脳の段階に入ってくるのかなと思われるのですよね。
ピュアな人の世界や右脳人間の世界は、おそらくスピリチュアルな方へ行くのかなと思います。
少し前から人気の「パワースポット巡り」だとか、引き寄せの法則や、座禅に通う人などは、このスピリチュアルなトレンドの最初の部分なのではないかと推測しています。
スピリチュアルな傾向が強くなるというと、「宗教団体に入る人が増える」という意見があるかもしれませんが、私はそうではないと考えています。
どちらかというと、特定の宗教団体は流行らなくなるような気がしています(特に日本で)。
変な話ですが、宗教団体はスマホと競合しているような感じがします。分からないことや悩みがあれば、ググって調べますし、寂しいときには誰かと繋がってチャットもできます。YouTubeを観て笑ったり、音楽を聞いて気持ちがハイになったりすることもできます。
本来、信仰を大切なものにする宗教団体と、大量の情報をやり取りするスマホでは土俵が違います。
しかしながら、寄り添って(スマホを携帯していて)、学んだり、喜んだり、自己表現したりして、心のよりどころになっているところは、競合しているのではないでしょうか。
それゆえ、宗教団体は人々に”スマホより”「大事な価値があるんだよ」ということや、「時間を使う価値があるんだよ」ということを説得できなければ、宗教から、段々人々が離れていくことになると思われるのです。
それで、ポスト資本主義社会においてスピリチュアルな傾向は、私の直観なのですが、”宗教”という分類されたものではなく、他の色々な学問も、要素も一緒になったものになるのではないかと思っています。
説明が難しいですが、「スピリチュアル」というものが単独で流行るということではなく、全てが統合されたものの底辺にスピリチュアル的なものが普通にある(又は、普遍的にある)ような感じでしょうか。
別の言葉で言いますと、「精神性の高いものが求められていく」ということですね。人々は精神性の高い喜びを求めていきますし、企業は精神性が高くないと支持を受けにくくなるでしょう。
以上、簡単にポスト資本主義社会の考察を行いました。 ドラッカーに代わる、ドラッカーを超える経営理論の出現が待たれますね。
少し前から人気の「パワースポット巡り」だとか、引き寄せの法則や、座禅に通う人などは、このスピリチュアルなトレンドの最初の部分なのではないかと推測しています。
スピリチュアルな傾向が強くなるというと、「宗教団体に入る人が増える」という意見があるかもしれませんが、私はそうではないと考えています。
どちらかというと、特定の宗教団体は流行らなくなるような気がしています(特に日本で)。
変な話ですが、宗教団体はスマホと競合しているような感じがします。分からないことや悩みがあれば、ググって調べますし、寂しいときには誰かと繋がってチャットもできます。YouTubeを観て笑ったり、音楽を聞いて気持ちがハイになったりすることもできます。
本来、信仰を大切なものにする宗教団体と、大量の情報をやり取りするスマホでは土俵が違います。
しかしながら、寄り添って(スマホを携帯していて)、学んだり、喜んだり、自己表現したりして、心のよりどころになっているところは、競合しているのではないでしょうか。
それゆえ、宗教団体は人々に”スマホより”「大事な価値があるんだよ」ということや、「時間を使う価値があるんだよ」ということを説得できなければ、宗教から、段々人々が離れていくことになると思われるのです。
それで、ポスト資本主義社会においてスピリチュアルな傾向は、私の直観なのですが、”宗教”という分類されたものではなく、他の色々な学問も、要素も一緒になったものになるのではないかと思っています。
説明が難しいですが、「スピリチュアル」というものが単独で流行るということではなく、全てが統合されたものの底辺にスピリチュアル的なものが普通にある(又は、普遍的にある)ような感じでしょうか。
別の言葉で言いますと、「精神性の高いものが求められていく」ということですね。人々は精神性の高い喜びを求めていきますし、企業は精神性が高くないと支持を受けにくくなるでしょう。
以上、簡単にポスト資本主義社会の考察を行いました。 ドラッカーに代わる、ドラッカーを超える経営理論の出現が待たれますね。