序章:人間中心哲学が導く、政府への問い直し
この論考は、私がこれまで書いてきた「人間中心哲学」と「現代のルネサンス」の思想を土台にしています。
問いを持つ個人を中心に据えた社会像と、新しい経済哲学の構築を第一部として展開してきました。
今回から始まる第二部では、その思想をさらに広げ、政府・支援・国家・財政といった構造を、人間中心の視点から静かに問い直していきます。
政治論といっても、主義や対立を語るものではありません。
この論考は、問いを持つ人間の尊厳を守るために、制度や構造をどのように再設計できるかを探る、思想的な試みです。
さて、私はこれまで、メンタリングという営みを通じて、「問いを持つこと」(自分の言葉で世界と向き合うこと)「信じて任せること」「いていいと感じられる関係性」を支えてきました。
その中で見えてきたのは、制度や支援の枠組みでは捉えきれない、人間の尊厳と選択の重みです。
自分で選ぶということが、どれほど深い責任と希望を伴うか──その実感です。
この論考は、そうした実践の延長線上にあります。
けっして政治的な主張を展開するものではなく、人間中心哲学の視点から、政府という存在を思想的・倫理的に問い直す試みです。
とくに現代は、個人が自らの軸を持ち、問いを抱えながら生きる時代へと移行しつつあります。
──これを私は「個人中心社会」と呼んでいます。
そのような社会において、政府の役割とは何か。
支援とは、誰をどう信じ、どのように任せることなのか。
国家は、私たちの何を守るべきなのか──
この論考は、そうした問いに静かに向き合うものです。
「弱者支援」を否定するものではありません。
また、支援の縮小を主張しているのでもありません。
この論考は、支援の本質を問い直し、尊厳を守る構造を再設計するための思想的な試みです。
支援とは、管理や給付ではなく、信じて任せること──それは、問いを持つ自由──自分で考え、選び、誠実な関係を築く力を支えることでもあります。
私たちが目指すべきは、「管理される社会」ではなく、信頼と選択が支える、関係性の質としての社会ではないでしょうか。
それは、管理や指示ではなく、互いを尊重し合う関係が土台となる社会です。
この論考が、読者一人ひとりの問いと静かに響き合うことを願って──
これから7章を通じて、読者の皆さんとともに、政府と個人の関係を少しずつ見つめ直してみたいと思います。
第1章:政府とは何か──歴史的役割と現代のズレ
◇ はじめに:政府という存在を、もう一度問い直す
私たちは、政府という言葉をあまりに当然のものとして受け取っています。
税金を集め、法律を整え、社会を管理し、時に支援を行う──そのような「政府の役割」は、いつから、どのように形づくられてきたのでしょうか。
この章では、政府の歴史的な役割をたどりながら、現代における“ズレ”と“再定義の必要性”を静かに見つめてみたいと思います。
◇ 1. 国家の役割の変遷──「守る」「配る」「管理する」
政府の原型は、古代ギリシャの都市国家ポリスや、ローマ帝国の統治機構に見ることができます。
これらの国家は、外敵から共同体を守る「防衛機能」を中心に、法の整備、公共事業、徴税などを通じて、秩序と繁栄を維持しようとしました。
近代国家の成立とともに、政府は教育・医療・福祉といった「分配と管理」の役割を担うようになります。
20世紀には、福祉国家の理念のもと、「すべての人に最低限の生活を保障する」ことが政府の責務とされました。
この流れは、人間の尊厳を守るという点で重要な進展でもありました。
しかし同時に、国家の役割は肥大化し、「守る」から「すべてを管理する」へと変質していったのです。
◇ 2. 現代の政府が抱える構造的な矛盾──誇りの喪失という懸念
現代の政府は、次のような矛盾を抱えています:
- 分配を担う一方で、依存を生み出してしまう構造
- 支援を行う一方で、個人の選択や尊厳を制限してしまう制度
- 管理を強化する一方で、信頼や対話の空間を狭めてしまう運用
そして何より──政府が分配し、支援し、管理を強化することによって、人が誇りを失わされているのではないかという懸念があります。
本来、支援とは人を立ち上がらせるものであるはずです。
しかし、制度の中で「受け取る側」として位置づけられ続けることで、人は自らの問いを持つ力や、選び取る誇りを静かに失ってしまうことがあるのです。
ここで言う「問い」とは、誰かに依存するわけではなく、自分の言葉で世界と向き合い、自らの在り方を選び取ろうとする力のことです。
◇ 3. 「支える政府」から「任せる政府」への兆し
近年、行政の現場では「自助・共助・公助」のバランスが語られるようになりました。
また、地域共生社会やソーシャルビジネスの広がりの中で、「すべてを政府が担うのではなく、個人や地域に任せる」という発想も芽生えています。
これは、単なる財政的な都合ではなく、「人間は依存する存在ではなく、問いを持ち、選択できる存在である」という認識の変化の兆しかもしれません。
◇ 4. 人間中心哲学から見た“政府の限界”と“再設計の必要性”
人間中心哲学の視点から見ると、政府とは「すべてを与える存在」ではなく、「問いを持つ個人が、自らの在り方を選び取るための環境を整える存在」であるべきです。
そのとき、政府の役割は、「管理」や「分配」ではなく、“関係性の質”を支えることへと変わっていきます。
政府の再定義とは、制度の縮小ではなく、人間の尊厳と問いを中心に据えた、関係性の再設計なのです。
◇ 結びの問い
政府とは、私たちの何を守り、何を任せる存在なのでしょうか。
そして、私たちは、どこまでを国家に委ね、どこからを自らの問いとして引き受けていくのでしょうか。
第2章:個人中心社会の台頭──自立と選択の時代
◇ はじめに:個人が軸を持つ時代へ
かつて、社会の設計は「集団の安定」や「平均的な生活水準」を基準にしていました。
しかし現代は、そうした前提が静かに揺らぎ始めています。
人々は、与えられた枠組みの中で生きるのではなく、自らの軸を持ち、問いを抱えながら選び取る時代へと移行しつつあります。
私はこの流れを、「個人中心社会」と呼んでいます。
◇ 1. 自立した個人が増えることで、政府の役割が変わる
個人が自らの価値観を持ち、誠実に選択するようになると、政府の「支援」の意味も変化します。
- かつての支援は、「足りないものを補う」ことが中心でした
- しかし今は、「選択の自由を守る」「問いを持てる環境を整える」ことが求められています
この変化は、支援の質の転換であり、政府が「何を与えるか」ではなく、「何を整えるか」に焦点が移る兆しです。
◇ 2. 「弱者支援」から「環境整備」への移行(修正版)
従来の弱者支援は、給付や制度によって「守る」ことを目的としてきました。
それは重要な役割でしたが、同時に、人を“受け取る側”に固定してしまう構造も含んでいました。
個人中心社会では、支援のあり方も変わります。
- 支援とは、問いを持てる空間を守ること
- 支援とは、選択できる関係性を整えること
- 支援とは、「いていい」と感じられる場を支えること
このような支援は、給付とは違って、その背景にある“生きる場”を整える支援とも言えるかもしれません。
それは、制度の外側にある「問いを持てる空間」「選択できる関係性」「いていいと感じられる場」を支える営みです。
(誤解のないように申し上げますが、必要な方への給付は当然継続すべきだと考えています)
◇ 3. 自立とは、切り離しではなく、関係性の成熟
自立という言葉は、時に「自己責任」や「孤立」と誤解されがちです。
しかし、ここで語る自立とは、問いを持ち、選び、関係性を築く力のことです。
それは、支援を遠ざけることではなく、支援のあり方を問い直し、信頼と選択によって関係性を成熟させる試みです。
政府は、そうした個人の成熟を支える「環境整備者」として、制度ではなく、関係性の質を支える役割へと変容していく必要があるのではないでしょうか。
◇ 結びの問い
支援とは、何を与えることなのか。
自立とは、何を引き受けることなのか。
政府は、問いを持つ個人に対して、どのような場を整えるべきなのか。
第3章:支援の倫理──給付・福祉・関係性の再考
◇ はじめに:支援とは何か──その問いの深さ
「支援」という言葉は、善意や制度の整備として語られることが多くあります。
しかし、支援とは本来、人間の尊厳と選択を支える営みであるはずです。
この章では、給付・福祉・関係性という制度的な語彙を、
人間中心哲学の視点から問い直し、支援の質と倫理を再考してみたいと思います。
◇ 1. 給付金や福祉政策の思想的背景
近代国家は、福祉政策を通じて「最低限の生活保障」を制度化してきました。
その背景には、人間の尊厳を守るために国家が介入すべきだという思想があります。
これは、歴史的にも重要な進展でした。
飢えや病から人を守り、教育や医療へのアクセスを保障することは、
人間が「いていい」と感じられる社会の基盤でもあります。
しかし、制度が成熟するにつれて、
支援は「権利」として語られる一方で、“受け取る側”としての固定化も生まれてきました。
◇ 2. 支援が尊厳を損なう場合とは
支援は、与える側と受け取る側の関係性によって、その意味が変わります。
とくに、次のような状況が続くと、支援は人の尊厳を静かに損なうことがあります:
- 選択肢が提示されない支援(一律の給付や画一的な対応)
- 支援の条件が厳しく、申請者が“評価される側”になる構造
- 支援者との関係が上下的で、遠慮や萎縮が生まれる関係性
- 「ありがたく受け取るべきもの」として、問いや希望を語る余地がない空気
こうした支援は、制度としては整っていても、
人が自らの問いを持ち、選び取る力を失わせてしまう可能性があります。
それは、善意の制度であっても、関係性の質が損なわれている場合です。
◇ 3. 「信じて任せる」支援のあり方とは何か
人間中心哲学の視点から見ると、支援とは「守ること」ではなく、
問いを持てる空間を支えることであり、
選択できる関係性を整えることでもあります。
ここで言う「問い」とは、
自分は何を望んでいるのか、どんな生き方を選びたいのか、どこにいていいと感じられるのか──
そうした根源的な問いです。
それは、制度の中では語られにくい、個人の内側から立ち上がる声でもあります。
そして「選択」とは、
その問いに誠実に向き合い、自分なりの答えを選び取る力のことです。
それは、他者に委ねることでも、孤立することでもなく、
関係性の中で、自分の軸を持って生きるという営みです。
そのとき、支援は「与える」ではなく、
「信じて任せる」構造として再設計される必要があります。
- 支援とは、問いを持つ自由を守ること
- 支援とは、選び取る力を信じること
- 支援とは、「いていい」と感じられる場を整えること
このような支援は、制度の外側にある、関係性の成熟を支える営みです。
それは、給付の否定ではなく、支援の質の深化なのです。
◇ 4. 制度中心の支援との思想的違い──MMTとの対照
近年、MMT(現代貨幣理論)のように、国家の財政支出によって雇用や福祉を保障しようとする理論が注目されています。
それは、制度の内側から支援を再設計する試みであり、一定の意義を持つものです。
しかし、その支援は「守る」「与える」「管理する」という構造にとどまりがちです。
人間中心哲学の視点から見ると、支援とは「守ること」ではなく、
「問いを持てる空間を支えること」「選択できる関係性を整えること」であるべきです。
支援の本質が「信じて任せる構造」にあるとすれば、制度の拡張だけでは届かない声があることにも、静かに目を向ける必要があります。
MMTとの対照は、財源や制度設計の違いではなく、
支援をどう捉えるかという思想の違いにあります。
私は、問いを持つ個人が選択と信頼の中で生きられる構造こそが、支援の再設計の出発点だと考えています。
◇ 結びの問い
- 支援とは、誰をどう信じることなのか?
- 給付とは、何を守るための手段なのか?
- 尊厳を守る支援とは、どのような関係性の中で生まれるのか?
第4章:小さな政府の思想──自由・責任・透明性
◇ はじめに:誤解されがちな「小さな政府」
「小さな政府」という言葉は、時に冷たい印象を与えるかもしれません。
減税、規制緩和、行政サービスの縮小──そうした語句が並ぶと、
「切り捨て」や「自己責任」のイメージが先行しがちです。
しかし本来の「小さな政府」とは、
個人の自由と責任を尊重し、政府が必要以上に介入しない構造を意味します。
それは、個人が問いを持ち、選び取る力を信じる思想でもあります。
◇ 1. 小さな政府とは何か──誤解と本質
小さな政府とは、単に「予算を減らす」「サービスを縮小する」ことではありません。
その本質は、政府が“何をしないか”を明確にすることにあります。
- 市場や地域に任せられることは、政府が手を引く
- 個人が選び取れる領域には、過度な管理を加えない
- 支援は「守る」ではなく、「環境を整える」ことに重点を置く
このような構造は、自由と責任を支える制度設計であり、
「いていい」と感じられる場を、政府が整えすぎずに支える思想でもあります。
◇ 2. 減税・規制緩和・行政サービスの縮小──その意味と限界
小さな政府の実践として語られるのが、
減税・規制緩和・行政サービスの縮小です。
- 減税は、個人や企業が自らの判断で資源を使えるようにするための手段
- 規制緩和は、選択肢を広げ、創造的な活動を促すための土壌づくり
- 行政サービスの縮小は、政府の役割を絞り、本当に必要な支援に集中するための再設計
ただし、これらは思想とセットで語られなければ、単なる“削減”として誤解される危険があります。
重要なのは、何を減らすかではなく、何を信じて任せるかという視点です。
◇ 3. 自立した個人が活躍する社会における政府の最適規模
個人が問いを持ち、選び取る力を持つ社会では、
政府の役割は「管理」ではなく、環境整備と信頼の設計になります。
- 政府は、最低限の安全と秩序を守る
- それ以外の領域では、個人や地域の選択を尊重する
- 支援は、「いていい」と感じられる場を整えることに重点を置く
このような社会では、政府の規模は自然と絞られていきます。
それは、小さくなることが目的なのではなく、信頼によって縮まる構造なのです。
◇ 4. 「いていい」という感覚を支える制度設計とは
小さな政府の思想は、「いていい」と感じられる場を、
制度によって守るのではなく、制度の外側から支える構造を目指します。
- 支援は、問いを持つ自由を守ること
- 制度は、選択できる関係性を整えること
- 政府は、信じて任せる構造を設計すること
このような制度設計は、個人の尊厳を守るための“最小限の最大効果”を目指すものです。
それは、小さくても深く、静かに支える政府のかたちです。
◇ 結びの問い
- 小さな政府とは、何を減らすための思想なのか?
- 自由と責任は、どのような制度設計によって支えられるのか?
- 「いていい」と感じられる社会は、どのような政府によって可能になるのか?
第5章:国家は何を守るべきか──安全保障の再定義と人間中心の責任
◇ はじめに:国家の「守る力」を問い直す
国家は、個人では担えない「守る力」を持つ存在です。
外交、防衛、法制度──これらは、社会の秩序と安全を支えるために整備されてきました。
しかし、個人中心社会においては、
国家が何を守るべきか、どこまで守るべきかという問いが、改めて重要になっています。
この章では、国家の「守る力」を再定義し、
人間中心哲学の視点から、安全保障と公共の責任を問い直してみたいと思います。
◇ 1. 国家が担うべき「守る力」とは何か
国家の「守る力」は、単なる軍事力や法的強制力ではありません。
それは、個人が問いを持ち、選び取る自由を守るための構造的な支えです。
- 外交は、国と国の間にある緊張や摩擦を調整し、尊重と信頼の関係性を築く力
- 防衛は、暴力や侵略から国民の生命と尊厳を守るための最小限の備え
- 法制度は、自由と秩序を両立させ、共に生きるためのルールを整える営み
これらは、国家が単に「管理する」ための力ではなく、
個人と社会の尊厳を支えるために、慎重に設計・運用されるべき力として再定義される必要があります。
国家が担う管理とは、支配や統制ではなく、尊厳を守るための構造的な責任なのです。
◇ 2. 外交・防衛・法制度の整備──その思想的背景
● 外交:尊重と信頼を築く営み
外交は、国益の交渉にとどまらず、文化・価値観・歴史の違いを越えて、
相互の尊重と信頼を築く営みです。
それは、対立を避けるための技術ではなく、
共に存在できる関係性を育てる構造でもあります。
外交の成熟は、国家の境界を明確にしながらも、
他者との共存を可能にする関係性の設計力なのです。
● 防衛:暴力から尊厳を守る構造
防衛は、暴力や侵略から社会を守るための備えですが、
その本質は、国民の生命と自由、そして尊厳を守ることにあります。
それは、力の誇示ではなく、
安心して生き、語り、選び取ることができる社会を支えるための備えなのです。
● 法制度:自由と秩序を両立させるルール
法制度は、社会の秩序を保つためのルールですが、
その根底には、個人の自由と尊厳を守る思想があります。
それは、罰するための仕組みではなく、
共に生きるための約束としての制度的な信頼の設計です。
◇ 3. 個人中心社会における「国家の境界」と「公共の責任」
個人中心社会では、国家の役割も変化します。
すべてを抱え込むのではなく、個人が問いを持ち、選び取る力を支える構造へと移行していきます。
ここで言う「国家の境界」とは、精神的な領域だけでなく、
領土・法制度・文化的アイデンティティを含む複合的な構造です。
- 国家の境界は、守るべきものが明確になることで、その意味と運用が成熟する
- 公共の責任は、個人が安心して問いを持ち、選び取れる環境を整えることにある
- 国家は、管理者ではなく、尊厳を守る環境整備者としての役割を担う
このような再定義は、国家の力を縮小するのではなく、
思想的に成熟させる営みなのです。
◇ 4. 人間中心哲学が示す“守るべき価値”の層構造
国家が守るべき価値とは、まず何よりも国民の生命と自由です。
そして、その国の文化と歴史、言語、暮らしのかたち──
それらが尊重されることで、個人は安心して問いを持ち、選び取る力を育むことができます。
人間中心哲学が示す「問いを持つ自由」は、
こうした基盤の上に立ち上がる第二層の価値です。
- 第一層:生命、安全、自由、文化、歴史
- 第二層:問いを持つ自由、選び取る力、いていいと感じられる場の質
国家の責任とは、この価値の層構造を守り、支えることにあるのです。
◇ 結びの問い
国家とは、何を守るために存在するのか。
外交・防衛・法制度は、どのような価値を支えるために整備されるべきなのか。
私たちは、どのような「守られ方」を望み、どのような社会を築いていきたいのか。
第6章:財政問題の構造的解決──思想から始まる再設計
◇ はじめに:財政問題は制度設計の限界ではなく、思想の問いである
財政問題は、税収の不足や歳出の増加といった数値の話として語られがちです。
しかし、その根底には、誰が何を支え、どのような価値を循環させる社会を目指すのかという思想的な問いがあります。
この章では、分配型財政の限界を見つめ直し、
人間中心哲学の視点から、価値創造者としての個人が支える財政構造を再設計してみたいと思います。
◇ 1. 分配型財政の限界と持続可能性
従来の財政構造は、「集めて、分配する」ことを前提としてきました。
税収を集め、福祉や公共サービスとして分配する──このモデルは、一定の成果を上げてきました。
しかし、現代社会では次のような限界が見えてきています:
- 高齢化や人口減少により、税収の基盤が縮小している
- 分配の枠組みが固定化され、問いや選択の余地が狭まっている
- 支援が「与えるもの」として設計され、依存構造を生みやすい
これらの限界は、制度の不備ではなく、支える思想の再設計が必要であることを示しています。
◇ 2. 自立した個人が支える経済と税制
人間中心哲学の視点から見ると、財政とは「集めて分ける」ものではなく、
価値を創造し、循環させる構造として再定義されるべきです。
- 個人が問いを持ち、選び取り、関係性を築くことで、価値が生まれる
- 経済活動は、選択と信頼に基づく関係性の中で育まれる
- 税制は、価値創造を妨げるのではなく、支える構造として設計されるべき
このような財政構造では、自立した個人が社会の土台を支える存在となり、
政府はその環境を整える役割に徹することになります。
◇ 3. 政府の役割を再定義することで見えてくる財政の糸口
財政問題の解決は、歳出削減や増税だけでは成り立ちません。
それは、政府の役割そのものを問い直すことによって、初めて糸口が見えてくるものです。
- 政府は、すべてを抱え込むのではなく、問いと選択が響き合う場を整える
- 支援は、「すべてを守る」構造ではなく、信じて任せることを含んだ“支え合いの構造”として再設計される
- 財政は、価値創造の循環を支える静かな土台として機能する
このような再定義によって、財政は制度の負担ではなく、
社会の成熟を支える構造へと変わっていきます。
◇ 4. 「価値創造者としての個人」が支える財政構造
最終的に、財政の持続可能性は、誰が価値を生み出し、どのように支え合うかにかかっています。
ここで重要なのは、個人が「いていい」と感じられる場で、
問いを持ち、選び取り、関係性を築く力を発揮できることです。
- 価値創造とは、経済活動だけでなく、関係性・文化・支援の質を育てる営みでもある
- 財政は、その営みを支えるための静かな循環装置である
- 政府は、価値創造の場を信じて任せることで、財政の質を高めることができる
このような構造では、財政は「集めて分ける」ものではなく、
生きる力が循環する社会を作り出すものとして機能するのです。
◇ 結びの問い
財政とは、何を支えるための構造なのか?
税制とは、誰の力を信じて設計されるべきなのか?
私たちは、どのような価値を生み出し、どのような社会を支えていきたいのか?
第7章:政府と個人の新しい関係──信頼と選択の社会へ
◇ はじめに:関係性の再定義から始まる社会の再設計
これまでの章で見てきたように、支援・制度・安全保障・財政──それらはすべて、「問いを持つ個人」と「信じて任せる構造」の関係性の中で再定義されてきました。
この最終章では、政府と個人の関係性そのものを問い直し、信頼と選択が支える新しい社会のかたちを描いてみたいと思います。
◇ 1. 政府は「管理者」ではなく「環境整備者」へ
従来の政府は、制度を設計し、サービスを提供し、秩序を維持する「管理者」として機能してきました。
しかし、個人が問いを持ち、選び取る力を発揮する社会では、政府の役割は「管理」ではなく、環境整備と信頼の設計へと移行していきます。
- 支援は、すべてを与えるのではなく、問いと選択を支える場を整えること
- 制度は、個人の尊厳を守るための“最小限の最大効果”を目指すこと
- 政府は、信じて任せる構造を設計することで、社会の成熟を支える存在となる
このような政府は、小さくても深く、静かに支える構造として機能します。
それは、たとえば「子どもが自分で選べるように、親が環境を整える」ようなもの。
選択の自由を信じて、見守る構造こそが、成熟した社会の土台となるのです。
◇ 2. 個人は「依存者」ではなく「価値創造者」へ
一方、個人の側も、制度に依存する存在ではなく、
問いを持ち、選び取り、関係性を築く力を持つ“価値創造者”として位置づけられます。
- 問いを持つことは、社会に新しい視点をもたらす力
- 選び取ることは、責任と自由を引き受ける営み
- 関係性を築くことは、支え合いの循環を生み出す力
このような個人は、制度の対象ではなく、社会の土台を支える主体です。
そして、政府との関係性も、「支援される」から「共に整える」へと変化していきます。
たとえば──仕事を選べない若者、介護に追われる家族、声を上げられない地方の人。
制度の隙間に落ちた人々の中には、問いを持ちながらも、選び取る力を奪われたまま生きている人がいます。
その問いに耳を傾けることが、社会の再設計の第一歩なのです。
◇ 3. 信頼と選択が支える、新しい社会のかたち
信頼と選択──この二つが響き合うとき、社会のかたちは静かに変わり始めます。
- 支援は、問いを持つ自由を守る構造へ
- 財政は、価値創造の循環を支える装置へ
- 安全保障は、尊厳を守るための最小限の備えへ
- 政府は、環境整備者として、個人の力を信じて任せる存在へ
このような社会では、制度の集合ではなく、関係性の質が社会の本質となるのです。
それは、誰かが決める社会ではなく、問いと選択が響き合う社会──
そして、誰もが「いていい」と感じられる場が、静かに広がっていく社会です。
これから、世界や日本にどのような事が起きようとも、
私は人間の力を信じています。人間の可能性を信じています。
そして、人間が光を宿した存在だと信じています。
この思想は、その信頼の上に立っています。
◇ 4. 人間中心哲学が導く“関係性の質”としての政治の未来
人間中心哲学が示すのは、制度や政策の技術論ではなく、
関係性の質を問い直すことで、政治そのものを再定義する思想です。
- 政治とは、問いを持つ個人が安心して生きられる場を整える営み
- 政策とは、選び取る力を尊重する構造の設計
- 政府とは、関係性の質を支える環境整備者
このような政治は、強さや効率ではなく、信頼と尊厳を軸にした成熟のかたちです。
そしてそれは、誰かのためではなく、すべての人の「いていい」を支えるための営みなのです。
◇ 5. 私からのメッセージ──問いを持つあなたへ
最後に、私がこの政治論、政治哲学を書いた理由について、少しだけ触れておきたいと思います。
私は、制度の隙間に落ちた人々と、静かに対話を重ねてきました。
そこには、声にならない問いがあり、選び取る力を奪われたまま生きる人がいました。
私がこの思想を書いたのは、誰かを説得するためではなく、問いを持つあなたに届く言葉を残したかったからです。
政府も制度も、すべては「問いを持つ個人」が安心して生きられるためにあるべきです。
そして、あなたの問いは、社会を変える力を持っています。
私は、問いを持つ人を信じています。
選び取る力を持つ人を、信じて任せたいと思っています。
そして、関係性を築く力が、社会の本質を静かに変えていくと信じています。
この思想は、まだ小さな声かもしれません。
けれど、問いを持つあなたがいる限り、社会は変わる余地を持ち続けます。
どうか、あなたの問いを手放さないでください。
それが、未来のかたちを静かに開いていく力になるのです。
◇ 結びの問い
- 政府と個人は、どのような関係性を築いていくべきなのか?
- 社会の本質は、制度の集合なのか、それとも関係性の質なのか?
- 私たちは、どのような信頼と選択の中で、生きていきたいのか?